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2015年01月11日01:42

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今日たまたま

横浜国大でひらかれた、生態学者・宮脇昭氏の講演を聞く機会があった。

もうすぐ87歳を迎えるとは思えないお元気さで、持論である「混植・密植型植樹」の哲学を説いておられた。

その根拠は、全国を巡って調べ上げた自然植生の調査にあって。

宮脇氏は、
「日本の常緑広葉樹を主とする照葉樹林帯では土地本来の森は0.06%しか残っていない。
ほとんど人間が手を入れて二次林や人工的で単一樹種の画一樹林にしてしまった。
これが台風や地震、洪水などの際の自然災害の揺り戻し(2次災害)が起こる諸悪の根源である。
その土地本来の潜在植生は、「鎮守の森」を調べればわかる。
大抵、シイ、タブノキ、カシ類の木々が茂っているはずだ。」
と言う。

3・11で被災したのワタシでも、みずから「世界に誇る」と自称する「宮脇方式」の、ガレキを土台に埋めた森造りを指導いただいたので、そのお礼もふくめてアイサツしておいた。


なんであれ、「次の氷河期がくるまでの9千年を生き延びるために」、「植樹した後、余計な手を入れなければ200年で元に戻る森」という、たかが100年も生きていない人間にとって、夢のある話でもあった。


何よりも心が動いたのは、宮脇氏が設計した横浜国大の雑木林の、一息で心が落ち着く、冬の甘い香りだった。


宮脇氏によれば、「土地本来の森は0.06%しか残っていない」とか。

鎮守の森に残る、「むかしながらの森」の落ち着きを、一瞬でも体験出来たことが、今日の収穫だった。

どこぞのチンピラ・ネトウヨ政治家がいう「うつくしい国」には、この高雅な香りが欠けている。




むかしは仙台平野には、「居久根(いぐね)」と呼ばれた樹木群をもつ家があった。

http://www.nhk.or.jp/tsubo/program/file194.html


ヒトと自然が、呼吸を合わせて生きる環境だった。



で、宮脇氏の話を聞きながら心に浮かんだことは、世界4大文明の発祥地が、現代ではほとんど砂漠化していることだ。
どうやらこれは、文明による植生破壊の結果だったようだ。

「天が落ちてくる」と心配した杞憂という男は、中国の殷のあとの周(BC1046〜BC256)時代に生きたヒトだが。
すでに進んでいた環境破壊が、杞憂の神経症をかき乱していたかもしれない。

少なくとも、周の都市国家群を脅かした、「夷」と呼ばれた非定住型の周辺狩猟民族の侵略には、砂漠化が進行した牧草地の荒廃が背景にあったようだ。

東南アジアや、ポリネシア諸島での、南部中国から流出した農耕民族ともともとの採集・狩猟民族との棲み分けは、相互侵略戦争に明け暮れるときもあったが、多くが「棲み分けして、混合するにしても、棲み分けするにしても、長い年月をかけていいる。


で、宮脇氏の「9千年先を見越して植樹する構想」は、200年を待たずして、現代人の神経を生き返らせるかもしれない。

宮脇氏は、「畑の雑草は、抜けばまた生えてくるから、抜かずに放置すれば、結局雑草はなくなる」と、生態系を利用した除草を説く。


若い(といっても、宮脇氏の年齢と比較してだが)女性と握手が好きなあの元気さは、「杜の賜物」かもしれない。




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