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2015年01月09日05:29

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断固徹底反対!愛知県体育館・支那『ピンポン外交記念モニュメンント(支那国旗・五星紅旗付)』設置に!愛知県庁前 愛知県議会議事堂前 敷島通信 26/12/26

断固徹底反対!愛知県体育館・支那『ピンポン外交記念モニュメンント(支那国旗・五星紅旗付)』設置に!愛知県庁前 愛知県議会議事堂前 敷島通信 26/12/26 http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-2147.html



平成26年12月26日 敷島通信
愛知県庁前 愛知県議会議事堂前

国有地・名古屋城敷地内に建つ愛知県体育館に支那『ピンポン外交記念モニュメント(支那国旗・五星紅旗付)』設置に対して、断固徹底反対の声を挙げた!



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『頑張れ日本! 全国行動委員会 愛知県本部』
162回(12/27)街宣の報告(名古屋駅東口交番前)
http://ganbarenihonaichi.blog24.fc2.com/blog-entry-508.html
ピンポン外交記念モニュメント設置 断固徹底反対!



断固徹底反対!!!

愛知県庁 052-961-2111
知事 大村秀章
担当:国際課 木俣 松井
大村秀章事務所 0566-74-8270

断固徹底反対の意見書(全文)
http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-2122.html

愛知県体育館・支那ピンポン外交モニュメント(支那国旗付)反対 ブログ群
http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-category-4.html

断固徹底反対!愛知県知事・大村秀章が、国有地に建つ愛知県体育館に支那国旗(五星紅旗・支那赤旗)を掲示しようとする首謀者(ソース:愛知県庁・国際課 K氏 26/12/26)
http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-2138.html


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↑↑↑
愛知県知事 國賊・売国奴・大村秀章が、国有地・名古屋城敷地内に建つ愛知県体育館に掲示しようとしている支那国旗(五星紅旗・支那赤旗)

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↑↑↑
頑張れ日本! 全国行動委員会 愛知県本部 
【なごやのド左翼】大村秀章(おおむらひであき)愛知県知事
http://ganbarenihonaichi.blog24.fc2.com/blog-entry-337.html




2008年4月26日。長野聖火リレーで何があったのか?

↑↑↑6:05〜 女性「助けてぇーーーー!」 その後の動画上では、目を押さえているが、目を支那人に突かれたのだろうか!?
この長野聖火リレーに集まった支那人約6000名ほどの大半が、留学生だった。支那大使館、支那領事館が組織的に動員した支那人らである。普段は殊勝な顔をして日本の行政等とかと話をしている支那人たちだろう。
↑3:21〜3:22 日の丸の腕章をしているのは私です。そして私はチベットの国旗を掲げているというだけの理由で二度、支那人に絡まれ「出てけ!」と怒号を浴びせられました、日本人が日本国長野市で支那人に。
長野聖火リレー人数比率 チベット派日本人:支那人=1000:6000


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見えている足は全て支那人(警察官2名とカメラマン3名ほどを除く) 撮影:私
平成20年4月26日 長野トーチリレー騒乱!歩道で頭を押さえ悶絶し倒れていた日本人男性
http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-2143.html
頭を押さえ悶絶し、歩道で倒れていた日本人男性。
傍らの女性は「何でこんな事するんですか」と悲鳴に似た絶句を連呼。
周りにいたシナ人留学生・シナ人は「ウソつき」「わざと倒れた」と主張し、悶絶し苦痛に満ちて倒れている日本人男性と傍らで悲痛な叫びを上げる女性の偽装行為であるかの如くの主張を展開。
また当該現場を避けるように距離を置くシナ人も存在。
周りは沿道を含め見渡す限りシナ人留学生・シナ人、五星紅旗。
撮影場所・時刻(長野通り、末広町信号から新田町信号までの中間点あたりでの東側歩道、撮影時刻平成20年4月26日07:43)



ねずさんの ひとりごと「残虐なシナ人を日本に受け入れるな!」
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-553.html


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支那共産党による虐殺

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支那共産党による虐殺

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支那共産党による処刑(華僑総会の支那人は公開処刑を見たことがあると言っていた)


日支友好の美辞麗句を唱える根拠として、愛知県庁国際課・木俣氏曰く「こういう時だからこそ」というが、この言葉は何度聞いたか分からない。
尖閣での支那漁船衝突事件、支那での日本企業焼き討ち、などなど、その都度、何度聞いたか分からないが、その度に支那は軍備を増強し、対日侵略の駒を進めているのは紛れもない事実である。どのレベルで、「こういう時だからこそ」と言わなくなるのだろうかと常々思う。
極端な話し、日本にミサイルが撃ち込まれても、「こういう時だからこそ、日支友好」というだろうと推察され、仮に支那共産党に侵略されても言うだろうと推測される。
それが、日支友好を手放しで唱える行政等の癖であると考えられるが、これは正に国家国民、日本民族に対する背信行為であると考える。
愛知県は江蘇省と友好都市となっているが、その江蘇省の南京には「南京大虐殺記念館」という反日抗日の捏造施設があるが、その一方で、愛知県の「ピンポン外国記念モニュメント(支那国旗・五星紅旗)」などはおかしいのではないかと質すと「こういう時だからこそ」との返答にはあきれる。
如何にも片務的にして盲目的な「こういう時だからこそ」の言説は一蹴されてしかるべきである。
愛知県庁国際課・木俣氏は、国と人とは違うというが、日本でも言論の自由のない支那人は支那共産党の言説と一心同体である。以前、華僑総会に支那政府批判はできるのかと聞くと「できるわけない。そんなことしたら、首と胴体が離れる。二度と出てこられなくなる。日本みたいに甘くない」と言っていたことが何よりの証明であると考える。
ちなみに「公開処刑は見たことがあるか」と聞くと、小さい時に一度見たことがあると言っていた。


【閲覧注意】 チベット人僧侶の焼身自殺の抗議を報道せよ!

↑愛知県曰く「チベット人僧侶の焼身自殺の抗議が支那共産党に対して続いている時こそ、日支友好」との思考回路だろうが、全く理解できない。


【拡散用】Free Tibet!尼僧、抗議の焼身自殺[桜H24/2/10]



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支那共産党によるチベット民族虐殺

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支那共産党によるチベット民族弾圧

チベットにおける中国軍の蛮行


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支那共産党による虐殺・拷問・弾圧・民族浄化に抗議するために焼身自殺するチベット民族

スペインの裁判所が江沢民らをチベット人大虐殺の容疑で国際指名手配
Spanish Court Issues Arrest Warrant for Former CCP Leaders



中国でウイグル人虐殺暴動 (死者・不明者 数千人) 2009年6月

↑愛知県がいう「国と人とは違う」というところの支那人によるウイグル人殺戮
日本がもし支那共産党に統治されたなら、この様に支那人に殺戮される日本人が現れるのだろうと推測される。

ラビア議長 漢民族に集団暴行されるウイグル少年映像へのコメント

↑愛知県がいう「国と人とは違う」というところの支那人によるウイグル人少年虐待
「(支那人の)誰もこの子を救おうとしなかった」
一党独裁・支那 国の意思と支那人の意思は一心同体


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支那共産党によるウイグル民族虐殺

↑↑↑
尖閣諸島侵略工作、西太平洋覇権行動、チベット・ウイグル・南モンゴルでの虐殺・拷問・弾圧・民族浄化の執行、愛知県の姉妹都市・江蘇省、同省南京の嘘捏造「南京大虐殺記念館」の反日抗日プロパガンダ、愛知県曰く「こういう時だからこそ」と、日支友好をおうむ返しの様に唱える様は異常である。「日支友好教」と呼ぶにふさわしく、思考停止状態となっている様はおぞましい限りである。

【驚愕!必見!】石平氏が激白!中国の日本侵略計画

3:25〜 (捏造の)南京大虐殺記念館とか、(捏造の)抗日戦争記念館、日本人の(捏造の}残虐性を強調する展示物がいっぱいあるでしょ。支那の若者たちを見てみますと今回徹底的に日本に対して仕返しする。その仕返しはどんな残虐な手段を使っても足りないくらいだと彼らは思っている。中国もインターネットで書いている。「今回は、日本を占領したら必ず東京大虐殺をやりたい」という。そういう潜在的願望を持っている人も一杯いる。

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アメリカ国旗も掲示されるようだが、名古屋城を焼失させたのは、アメリカである。
そして、国際法違反の無差別殺戮である空襲を我が国日本に行った米国は、未だその罪過を一切日本に謝罪していない。名古屋城の敷地内、石垣の内側に、名古屋城を燃やしたアメリカの国旗が掲示されることには、当然、これも断固徹底反対である。
まず、オバマ大統領が、対日無差別空襲・無差別殺戮を謝罪すべきであるし、たとえ同盟国(現況:対等な同盟とは言いえないのは明白)でも国有地に、名古屋城敷地内に、外国である米国の国旗が掲示されることに断固徹底反対である。
私からすると、 國賊・売国奴・大村秀章及び後藤淳の策謀による当該モニュメント及び米国・支那国旗の掲示は、あえて紛争の火種をばら撒き、挑発していると言わざるをえない。
支那共産党の意向を事実上汲んだ 國賊・売国奴・大村秀章が、対日工作を断行、そして挑発しまくってきていると解するのが相当。
 國賊・売国奴・大村秀章が即座に政界から立ち去ること、これが日本国、日本民族のためである。

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(転載)

ダウンロード
中国はいかにチベットを侵略したか
マイケル・ダナム (著), Mikel Dunham (著), 山際 素男 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%92%E4%BE%B5%E7%95%A5%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%8B-%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%8A%E3%83%A0/dp/477004030X
初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる
既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とする
これが彼らの常套手段だ。中国の侵略の実態。
多くの民衆が多くの民衆が、手足を切断され、焼かれ、死んでゆく中、不気味な力に勇敢に立ち向かったチベットの戦士たちが伝える警告の書。−それはさながらこの世の地獄だった。
1956年は、中共の約束事が耳をかす値打ちもない大嘘だったことがはっきりしたという点で、チベット人にとって忘れられない年だった。 
民主的改革? 土地改革? 援助? 進歩? それらはすべて暴力、脅迫、飢餓、死にいい換えてみればずっと分かり易い。
それが中共の共産主義への道だった。
チベットを乗っ取り、完全にわが物にするのが中共側の目的だったのだ。
これが毛沢東のいう「大家族の一員としてチベットを抱擁する」という意味であった。
妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。
特に尊敬されている僧たちは狙いうちされ、尼僧と性交を強いられたりもした。
ある僧院は馬小舎にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。
あくまでも拒否した僧のある者は腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。(本文より)
中共のチベット侵略と占領は二十世紀最大の悲劇の一つである。
百万人以上のチベット人が殺され、仏教建築物、書籍、芸術品などほとんどが破壊し尽くされた。 (ダライ・ラマ十四世・序文より)

(カスタマーレビュー) 転載
58 人中、57人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
解放は微笑で始まった
投稿者 至高の豚 投稿日 2008/5/6
形式: 単行本
「チベット解放」というのは、朝鮮戦争等と同様、軍事進行ありきと思っていたが、そう単純
ではないようだ。以下に著者の描写をまとめます。

1949年 毛沢東は中華人民共和国の成立を宣言。同年、チベットを帝国主義者から開放す
      ると発表。(著者によるとチベットにいた観光客以外の白人は8人)
1950年 中共軍はチベット内の東端地域に自動車道路を建設。
      略奪などはせずに非常に礼儀正しく、収穫を手伝った。僧院にも寄付した。
      いわゆる微笑外交(商人、農民、僧侶は喜んだ)
同年 6月 チベット軍の無線装置をめぐり紛争が起きる。中共軍は反撃せず。
      (同月朝鮮戦争開始)
      チベットの東地区全体に中共軍進入。地域に医療サービスを実施。
同年10月 首都ラサににいたる交通の要所に攻撃開始。
      チベット軍は投降し武装解除するも、武器を返却され、武装した姿を写真に
      とられた。その後再度武器は取り上げられた。この写真は中共軍とチベット軍の
      友好的シーンとして宣伝され国際社会は安心した。
  11月 チベットは国連に緊急文書を送るも無視された。
1951年 中共チベット会議で17条協定書が提出されチベット側は代表権なかったが
      中共側はチベットの判を作成し、チベット側はやむなく署名した。
      (内容はチベットは自国から帝国主義勢力を駆逐し中共へ「復帰」する等)
      協定は3日後にラジオ北京により海外に宣伝された。
  =>解放はこれでほぼ実現、以降国際社会での情宣、ダライ・ラマと同格の宗教指導者を
    指名する等の政策が続行された。

解放は単なる軍事進行だけではない。現在、ダライ・ラマ14世と中共政府の話し合が行われ
ているが、これとほぼ同様なことが1954年にも起きている。
これが真の意味での「話し合い」ではなく国際社会へのポーズでしかないことは、この本を
読めば一目瞭然だろう。皆様、ご賢察願いたい。     
   



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『最終目標は天皇の処刑』 中国「日本解放工作」の恐るべき全貌
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/pema.htm
  ペマ・ギャルポ著 飛鳥新社 2012年1月27日 初版第1刷発行

 日本人なら背筋が凍る!
 ここまで来ている侵略工作。
 チベット出身者だから分かる中国の悪辣な罠。
 巻末には中国共産党作成の機密文書「日本解放第二期工作要綱」を収録!




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日本解放第二期工作要綱
中国共産党
http://yusan.sakura.ne.jp/library/china_kousaku/
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