「人気の名前」百年史の読み解き方
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妹の名前は、「絹代」という。
本人は、子供の頃、なんだか古めかしい名前で自分の名前が好きではなかったそうだが、その名付けの経緯を知って、自分の名前が好きになったらしい。
妹の名前を付けたのは、両親ではない。
祖父が「絹代」と名付けた。
両親は、妹が生まれた時、名付けどころではなかった。
というのも、妹は、胃と十二指腸が離れた状態で生まれてきた。
出産後、母親が妹に母乳をあげると、妹はその母乳を噴水のように口から吐いた。
おかしいと思った産婦人科の先生がすぐに京都府立医大病院に送り、その事実が判明した。
母親は、生まれてすぐの我が子をその手で充分に抱き締めることもできないまま、我が子と引き離された。
もともとよく出た母親の母乳は、その日を境に、一切出なくなってしまった。
父親と祖母は、その日から京都府立医大病院に居る妹に付きっ切りになった。
家には、当時小学一年生だった僕、幼稚園児だった弟、そして祖父だけが残された。
家族は、離ればなれになった。
妹は、生後2日目という、まだ60センチにも満たない、そんなちっちゃな身体で、胃と十二指腸を繋ぐ緊急手術をした。
当時、こうしたケースでの手術は症例が少なく、妹の命が助かる確率は、フィフティフィフティだと言われた。
そういった事情で、両親は、妹の命が助かるかどうかということで手一杯で、名付けどころではなかったのだ。
妹の名付けは、祖父に託された。
祖父は、妹の手術の前の日、一晩考えた末に、半紙に「命名 絹代」と書いて、神棚に貼り、手を合わせた。
祖父は、昭和の女優、田中絹代にあやかって、妹の名前を絹代と名付けたそうだ。
女優田中絹代といえば、昭和の名女優であると同時に、その相当に気の強い性格で有名だった人だ。
祖父は、田中絹代のその気の強い性格にあやかって、妹に絹代と名付けた。
つまり、今の生きるか死ぬかという状況にあって、妹がこの状況に打ち克つだけの気持ちの強さを絹代という名前に託したのだろう。
これは、命だけはどんなことがあっても助かって欲しいという、祖父の願いであり、その願いは、僕たち家族の願いだった。
妹は、祖母を始めとした家族の懸命の甲斐があって、それから半年後に、無事退院することができた。
病院の先生も驚くほどの、奇蹟的な回復力と生命力だったという。
あれから30数年。
そんな妹は、大きな病気をすることもなく元気に過ごし、今年結婚する。
妹にいつか赤ちゃんができて、親になったら、あの時の両親や祖父母の気持ちがわかる時がくるだろう。
名前には親の願いが込められている。
僕はそう思っている。
P.S.明けましておめでとうございます。
新年のご挨拶の代わりにひとつ日記を投稿しました。
今年もよろしくお願いいたします。
また、日記の評判が良ければたま〜に現れようかと思います(笑)。
では、またいつか。
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