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2015年01月04日21:11

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荷物電車のお話

某所から「最近鉄分が薄すぎだ」というツッコミが入りましたので、久々に語ってみようかと。
フォト

まぁ発端はコイツなわけでして。年末に発売となった鉄コレ20弾を箱買いしましたら、湘南色でクーラーのついたヤツが入っておりました。まぁシークレットのクモユ143だったわけなんですが、このたった4年で廃車となった車両をどう料理してくれようかということでいろいろと調べてみた次第。まぁ普通に考えたら高崎線やら上越線・信越本線の115の端っこにちょこんとアクセントとしてくっつけるというのが王道なんでしょうけど、あいにくウチには115は在籍しておりませんので…

ということで、調べてみましたらこういうところに行きつきました。
http://blog.goo.ne.jp/tsurukun1422/e/e9627c0cf7be714401ce35841b423de0
高崎で切り離した先頭の2両は多分両毛線のクモユニ×2だろうというのはさておくとして、残った5両が前からクモユ143-クモニ83-クモニ83-クモユ141-クモニ143ということらしい(コメントより)ので、前3両が長岡所属の上越線荷電、後ろの2両が長野所属の信越線荷電ということのようです。ご丁寧にクモニ143が逆向きですし、当時の配置状況から考えてもそう捉えるのが自然でしょう。

で時代は下って1985年頃。横浜羽沢から隅田川へ向かう4両の荷電でございます。
http://marilyns-room.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/1980s-114d.html
長岡に6両配置されていたクモニ83は身延から流れてきたクモユニ143(4両)と長野から移籍のクモニ143(2両)で置き換えられ、クモニが長野から流れて行ったということは信越本線の荷物輸送が廃止になったということですので、高崎から碓氷峠を越えて長野へ向かうのはクモユ1両だけ(115にくっついて、ですが)ということになるようです。写真でも後ろのクモユが逆向きにぶら下がってますので、こいつが長野車ということで間違いないでしょう。

ということで、この2つの編成をまとめてみたらこうなりました。
フォト

両毛へ行ったであろう1983年当時の先頭2両はまぁさておくとしまして、残りの5(4)両は信越のクモニが消えただけで実質的には同じということになります。最初はこの2つの編成の相関がよくわかってなかったのですが、順を追って考えてみるととても単純な話だったとまぁそういうお話でした。まぁ荷物輸送自体が最末期でしたし、旧型国電であるクモニ83を新性能化した(+両毛・信越の荷物輸送廃止)だけで大きく輸送形態が変わるということもなかったのでしょうね。

ちなみに、最初は件の5(4)両が全部長岡所属車だと考えていたわけなんですが、それだと車両数的にクモニの予備車がいなくなりますし、なにより長岡には(当時)いなかったはずのクモニ143の説明がつかないのでなんでだろうなぁ?と頭をひねっていたわけなんですが…
http://www.mercury.sannet.ne.jp/bal-jaz/ModelGallery/TK-keisei/115-2000_minobu.html
ここの一番下で「クモユ143長野 + クモニ143長野」とか称して逆向きにくっついていた2両を見てあぁ成程と納得がいきました(当該の7両というのは時代的にも車両数的にも成立しませんけどね。なんせクモニ143長岡とクモニ143長野が同居している時点でおかしいんですから)。

ということで、シクレ入りの箱を引き当てた場合は、クモユ+クモユニ+クモニの3両で上越線荷物電車(高崎以北上沼垂まで)とやるのが無難ではなかろうかと。車番的にも最末期の長岡配置車ですし。シクレをもう1両引き当てる(但し車番は被る)か、どこかからクモユ141を連れてくる(MAのやつが無難かな?)と高崎以南隅田川までと、隅田川-横浜羽沢の運行もできますね。1983年の編成をやろうとすると、クモユ141とクモニ83×2(とクモユニ74×2)が追加で必要となりますので、ちょろっとハードルが上がるかなと思われます。

以上、鉄コレ20弾シークレット活用法でした。多分に推測が混じっている部分もありますが、まぁ概ねこれで間違いないでしょう。
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