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2015年01月01日17:34

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箱根駅伝をはじめ駅伝そのものがバカげたものだが

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箱根駅伝の給水 中身は全大学「富士山麓のおいしい天然水」
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駅伝というのは日本にしかないくだらないお祭りである。特に箱根駅伝は選手育成を阻害する最低最悪のものである。特に山登り・山下り区間などは正気とは思えない。
駅伝のバカバカしさ・こっけいさの象徴が「タスキ」である。
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■その1:「襷は各校『3本』用意する」

 各校はスタート時に着ける襷と同じものを2本、主催者に提出する。往路で5区につなぐ小田原中継所と復路で10区につなぐ鶴見中継所で1本ずつ保管される。これにより繰り上げスタートで襷をつなげなかった大学も、母校の襷でゴールテープを切れる。</blockquote>

駅伝では、タスキがまるで神聖なものであるかのように扱われ、まるで宗教のようで気持ち悪いのだが、駅伝の世界に入るとそういう普通の感覚は失われてしまって、まるで「タスキ教」という新興宗教信者のようになるのである。

国学院や早稲田が神社の「御守」をタスキに縫い付けていたというのも言語道断である。国学院は神道系の学校であるとはいえ、神道信者であることを入学条件とはしていないのだから、選手の信仰の自由は守られるべきである。早稲田は宗教系ではないのだからなおさらである。

日本人は宗教的寛容性が極めて低い。ある少年野球指導者が言っていたが、大会前に選手全員で近くの神社に必勝祈願のお参りをしたそうである。「キリスト教の家庭もあるけど、別にいいだろ」とか書いていたが、いいわけがないではないか。いつ野球が神道行事になったのか?それに「必勝祈願」などすること自体が馬鹿げているのだ。

「日本は宗教的に寛容だ」という神話がある。逆である。日本ほど宗教的に不寛容な国も珍しい。タスキに神社の「御守」、神社に「必勝祈願」はその典型である。日本の大学に来たイスラーム教徒の研究者が、飲み会などで「私はムスリムだから酒は飲みません」といっても、「まあまあ、そう固いことを言わずに」などと飲酒を強要するものが多いので、その類の会合への出席をやめた、というエピソードは日本社会の宗教的不寛容さを如実に表している。


<blockquote> 全10区間、総距離217.7kmを2日がかりで襷をつなぐ新春恒例の箱根駅伝には、白熱する優勝争い以外にも見どころが数多くある。観戦がもっと楽しくなる箱根駅伝トリビアを3つ紹介しよう。

■その1:「襷は各校『3本』用意する」

 各校はスタート時に着ける襷と同じものを2本、主催者に提出する。往路で5区につなぐ小田原中継所と復路で10区につなぐ鶴見中継所で1本ずつ保管される。これにより繰り上げスタートで襷をつなげなかった大学も、母校の襷でゴールテープを切れる。

■その2:「選手のドリンクもサッポロ」

 第73回大会(1997年)から始まった給水。コース途中で控え部員がボトルをランナーに手渡す。しかし、マラソンの給水のようなスペシャルドリンクは認められず、ボトルの中身は「富士山麓のおいしい天然水」のみ。特別協賛企業であるサッポロの商品だ。

■その3:「襷に『御守り』は不純?」

 かつては早稲田大が東郷神社(東京・原宿)、國學院大が伊勢神宮(三重)の御守りを襷に縫い付けていたが、関東学生陸上競技連盟によると、「88回大会(2012年)から禁止になった。襷は純粋に襷として使用したほうがいいだろうとの判断」とのこと。

※週刊ポスト2015年1月1・9日号</blockquote>
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