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2014年12月31日01:03

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一年が終わります。

あと一日で、一年が終わります。

今年がやまねこにとってどういう年だったか、
ひとことで言えば、厳しい年でした。

勤めていた会社がなくなるところから始まって、
探し当てた新しい職場も労働条件が厳しく、
病気もしましたし、
肉親に人格を全否定されたりもしました。去っていった人もいました。
どれもよくあることで、けっして特別なことではないと思うのですが、
とにかくよくつまづいた年ではありました。

去年の今ごろ、どうしていただろう?なんて、ふと考えました。
安定した仕事はありましたが、よりよい条件への転職をめざして、
がんばっていました。というか、がんばっているつもりでした。
面接のシミュレーションして、
ダイエットして。禁煙して。禁酒して。走ったりなんかもして。
時間ができれば、南相馬へお手伝いに行って。
とても充実していました。というか、充実しているつもりでした。
でも、今こうやって書き出してみると、ベクトルがぜんぜん一定してませんね(^^ゞ

あらためて思いました。
いい時に、または「いい」と思っているときに、
悪いことは始まっているんだ、ということ。
今年になって突然悪くなったわけではなくて、すでに始まっていたんだ、ということ。
わかっているつもりでしたが、またやってしまったな、なんて思います。

転職も、その先に見ていたものも、白紙になって、
水面から顔を出そうとするたびに、水の中に引きずりこまれるような感覚を何度も味わって、
それでも、年賀状を書いていて、
「元気です」と書けるようになったじぶんがいます。
もちろん、ひとりではできなかったことで、
支えてくれた近しいひとたちがいて、もちろんメイもいて、戻ってこられました。
仕事だって、条件はよくないけど、ちゃんとあります。
歌だってうたえています。
LIVEの本数は少なくなってしまい、歌いたくて歌えなかった歌も多いのですが、
とにかくコンスタントに続けてこられました。
大騒ぎして受験した試験も、なんとか合格することができました。
合格しただけで、まだ「スタートラインに立つ権利をもらった」だけにすぎないのですが、
なにかの形でこれからのじぶんにプラスになればと思っています。

じぶんはしあわせなんだな、と、何度も思いました。
安定した仕事があったり、安定した家庭があったり、
傍目にしあわせに見える人ほど、じぶんをしあわせと思っていない、と思ったこともあります。
(傍目に)しあわせな人はさらにしあわせを求める。
それが上昇志向というもので、その人を「成功者」や「勝ち組」にしているのかもしれないけれど。
でも、しあわせじゃない人はしあわせを見つけようとする。
そして見つけていく。
それなら、しあわせじゃなくてもいいんじゃないか、なんて思ったりしました。

じぶんがつらいときには、人の痛みがわかります。
だからこそ「人は、しあわせなときこそ試される」と思うのです。
落ちこんでいる人に「なんとかなるって。俺だってなんとかなったんだからさ」と軽く言い放ってみたり。
「俺なんて、もっとつらかったけど乗り越えてきたんだぜ」と苦しみを否定したり。
「じぶんだってつらい時期はあったけど、今はこんなにしあわせ」と見せつけてみたり。
本人からしたら、励ましたり鼓舞したりしてるつもりでも、
じぶんは(「しあわせ」になったとしても)そういう言い方はしたくありません。
でも、してしまうかもしれません。
なので、いつもじぶんに言い聞かせています。
「人は、しあわせなときこそ試される」

一年を通じて、あまり楽しいことは書けなかったかもしれません。
一時期は、「!」さえ書けませんでしたね。
ネガティブなことは書きたくなくて、でも取り繕うのもいやで。
今でも、ハイテンションにはついていけないし、いわゆる盛り上がるのは苦手です。
でもそれは、もともとかな。

「いい」と思っているときに、悪いことは始まっている。

ならば、逆もそうだと思うのです。

「悪い」と思っているときに、いいことは始まっている。はず。

だから、今年は厳しい年であっても、よくない年だった、とは書きたくないんです。
答えは、何年か先に出るのでしょう。

2015年も、支えたい人と、人たちと、メイと、
一歩ずつ歩いていけたらと思います。

とりとめなかったですが、年末のごあいさつでした。
みなさんも、よいお年を。
きっとなにかが―いいことが始まっていますように。
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