記事 fujipon
2012年03月29日 08:00
映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』感想
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あらすじ: 1979年、父の教えである質素倹約を掲げる保守党のマーガレット・サッチャー(メリル・ストリープ)が女性初のイギリス首相となる。“鉄の女”の異名を取るサッチャーは、財政赤字を解決し、フォークランド紛争に勝利し、国民から絶大なる支持を得ていた。しかし、彼女には誰にも見せていない孤独な別の顔があった。
参考リンク:映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』公式サイト
2012年10本目の劇場鑑賞作品。
平日のレイトショーで鑑賞。
観客は20人くらいいて、メリル・ストリープさんの「アカデミー賞主演女優賞効果」も、それなりにあるみたいです。
この映画、邦題は『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』なのですが、原題は『THE IRON LADY』(鉄の女)だけなんですね。
僕は、マーガレット・サッチャーの人生は、いろいろと苦難はあったし、「孤独」ではあったかもしれないけれど、「不幸」ではないと感じたので、タイトルの「涙」という言葉は必要ないと思いました。
マーガレット・サッチャーは、商家に生まれ、他の女の子たちが「映画でも見にいきましょうよ」とにこやかに街を歩いているのを横目に、家の手伝いをせざるをえず、地方の政治家であった父親の影響を受けていきます。
24歳のときに独身で選挙に出馬した彼女は落選するのですが、「結婚して選挙に出れば当選できるよ」と夫となるデニスにプロポーズされ、「ミセス・サッチャー」となるのです。
【略】
「金持ちも貧乏人もみんな一律の税金を払う」という制度への反対の声に対して、サッチャーさんは、こう言い放つのです。
「私は上流階級出身ではなく、貧しい商家の娘から、自分の努力でここまでやってきました。みんな『やればできる』はずです。できるのにやらないほうが悪い」
……うわっ、「ワタミ化」してる……
時系列でいえば、ワタミの偉い人のほうが「サッチャー化」したと言うべきなのでしょうけど。
長年の仲間にも冷たくあたるようになり、周囲から孤立したサッチャー首相は、結局、辞任への道をたどることになるのですが、「女性」という、当時の「政治的マイノリティ」であり、「庶民」であったサッチャーさんでも、長く権力の座にとどまるうちに、自分のルーツを見失ってしまったのだなあ、と感慨深くもありました。
この映画を観ながら、僕は、ふたりの日本の政治家のことを考えていました。
ひとりは、小泉純一郎元首相。政策が似ているのと、「強い言葉」を武器に、長年トップに君臨しつづけたことが共通点。
そして、もうひとりは橋下大阪市長。
言葉の強さや「いまの有権者に媚を売るのではなく、何世代もあとの人たちに感謝されるような改革」を志向しているところ。
サッチャー首相は、11年半も首相をつとめていながら、最後は、その独善性から周囲に見捨てられてしまいます。
彼女の政策に対しては「イギリスの経済を回復させた」「フォークランド紛争で最後まで折れず、領土を守った」という評価と、「なんでも民間に任せることによって、公的なサービスは劣化し、国内での貧富の差が拡大した」「国際協調性に欠ける」という両面の評価があるようです。
ただ、あれほど人気と権力を握っていたサッチャー首相の「玉座」も、けっこう簡単に失われてしまうのが政治の世界なのだな、とも感じたんですよね。
逆にいえば、「保守党の政治家たちやイギリス国民は、マーガレット・サッチャーにさんざん汚れ仕事をさせたあげく、要らなくなったら見捨ててしまった」とも言えるのではないでしょうか。
橋下さんは、ヒトラーになる可能性だってゼロではないでしょう。
その一方で、「サッチャー」として改革をさせ、利用して危なくなったら捨てる、という選択肢だって、国民にはあるのかもしれません。
僕はサッチャーさんの「孤独」を感じましたし、家族も大変だっただろうな、とは思うんですよ。
だからといって、「やりたい大きな仕事を任され、それなりの成果をあげた」というサッチャーさんの人生は「不幸」なんかじゃ、全然ありません。
「政治家」というのは、こういう業の深い仕事なんだな、という感慨が強く残る映画でした。
万人におすすめするのは難しいかもしれませんが、サッチャーさんのこと、世界の現代史、そして、メリル・ストリープさんに興味がある人は、ぜひ観ていただければと思います。
それにしても、サッチャーさんはまだ存命なのに、よくこんな映画、つくらせてくれたものですね……
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上転載ーー
http://blogos.com/article/35174/
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