もらい物のかぼちゃがごろごろしてる…。
私のかぼちゃのレパートリーはとても貧しくて、煮物かてんぷら、頑張ってもポタージュぐらい。
だいたい、量的にあまり食べないのだな…
そういえば、私の父もかぼちゃが好きではなかったっけ。
(戦時中かな戦後かな?)そればっかり食べたから、と。
廊下の隅には段ボールの中にジャガイモ、玉ねぎ、にんじん、玉ねぎ、リンゴ、ミカン、
あ、もらい物の柿が…軟らかくなってきたかなあ
実は、あまり好きではない、というか、…有り余るものは…なあ。
他にも到来物が結構あるのは、余ってるところには余ってるということ。
ありがたいものだが、もう、食べ物のやり取りはなしにしたいくらい。
この間の旦那の実家帰りで、またもどうでもいいものをたくさん押し付けられてきたので。
冷凍庫の掃除だといって、いただいた冷凍野菜の数々…うちのに入りきらんから、
解凍したまま、一応熱は入れておいたけど、…どうなると思う?
冷凍栗、冷凍里芋はまあいいにしても、冷凍ピーマンって、聞いたことある?
他山の石とすべし・・・、私は他人様にそんなことしないように、ね。
育ちざかりの子どもたちのいた時代が懐かしい。
なんでも食べてくれた。量が半端ではなかった。…ともかくお米が要った。
今、私の周囲には、食べ物に限らず、余剰品を差し上げて喜んでもらえそうなお宅はない感じ。
私の対人関係の貧しさなのかなあ・・・
だいたいうちの水準がささやかなもんで、差し上げても失礼にあたるだろうな、と思うのだ。
…年金暮らしの方々は、(年取ったら量は食べないので)どうせなら上等で美味しいものを
と望んでおられるようだし、
食べ盛りの子どものいるお宅でも、やっぱりうちより程度のいいものを召しあがってるらしい。
あ〜〜
だから、今年も歳暮で苦労した。減らして義理を欠いて、ほんの数軒だが。
今は、生きるために食べるというよりも…美味しいものを食べたい時代なのかなあ、と。
特にコンビニのスイーツを見ると複雑な思い。
あれやこれやの工夫のいじらしさ。あんなに手を加えて・・・と。 いや、私も大好きだけど。
今、水上勉の『土を食らう』を読んでる。(寺の小僧時代に習得した精進料理の数々!)
・・・曾野綾子も。(彼女のアフリカの貧困報告は世界に目を開かされる!)
どちらもつましいが、骨のある人たちである。
本当にうまいものとは素材その物だと思うが・・・
工夫が必要なものは・・・・実はまずいものなんではないだろうか?
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