■小保方氏が理研退職へ 「魂の限界まで取り組んだ」
(朝日新聞デジタル - 12月19日 11:27)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3192884
STAP細胞があるかどうかという話については、今回の理研の会見によって、一応は検証実験の打ち切りという形で結果を見ることになった。
これはつまり、STAP細胞の存在、及びSTAP現象じたいを否定することを意味する。
分かり易く言えば、”これ以上、時間を費やして検証実験をするだけ時間のムダ”ということ。
では、本当にSTAP細胞は無かったのか。
こればかりは、小保方氏の口から無かった、ということを聞かなければ、本当のところは分からない。
何故なら、彼女は以前の会見で、200回以上、STAP細胞を作り出すことに成功したと公言しているからだ。
これは、論文の不正とは別のところにあって、彼女のあの会見を信用するなら、STAP細胞は存在することになってしまう。
それだけに小保方氏には、今回の検証実験を踏まえた、きちんとした説明をする責任があると僕は思うのだ。
彼女の口から、以前の会見で公言した、200回以上成功したというSTAP細胞の作製とは何だったのか、その説明をしないことには、この問題は有耶無耶になってしまう。
あの会見の言葉は、何だったのか。
苦し紛れについた嘘だったのか。
思い違いだったのか。
それとも、本当に成功したのか。
でないと、無い事を証明することは不可能に近い。
それだけに説明責任を果たさない小保方氏は、狡いと思う。
ただ、一つ思うのは。
研究者にとって、研究とは何だろうということ。
一体誰の為に研究者は研究をしているのだろうか、ということ。
誰かの為?
名声の為?
それとも自分自身の為?
ノーベル賞を受賞した研究者は、きっとノーベル賞を獲る為に研究をしてきたわけではない。
自分自身の探究心の為に研究を続けてきた結果、ノーベル賞を受賞したというだけのことだと僕は思っている。
ならば、研究とは自分自身の為にするものであって、その研究を捏造するということは、誰よりも自分自身に嘘をついていることになる。
そんなことをして一体何の意味があるのだろう。
そんな研究に時間を費やして、何の意味があるのだろう。
そんな名声に何の意味があるのだろう。
小保方氏にとっての研究とは。
一体、どんな意味があっただろうか。
彼女は、何の為に研究をしていたのだろうか。
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