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2014年12月18日11:32

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「黎明」より 第13章 大師 (9)

かつてマータ・アムリターナンダマイ大師のアシュラムで、最終のバスに乗り遅れてしまった婦人が、四十キロもの道程を歩いてきたことがありました。時間は明け方の四時頃で、前日のダルシャン
(ダルシャンとは、「神に出逢う」と言う意味ですが、マータ・アムリターナンダマイ大師は、ひとりひとりを抱きしめて祝福するので、大師のアシュラムではこれをではこれをダルシャンと呼んでいます)
はとうに終わっていたので、側近のひとりは、ダルシャンをして欲しいというその婦人の要求を断ったのですが、いつの間にか起きてきた大師は、その婦人に祝福を与えて、「あなたは重い荷物を担いで遠い道程をやってきました。その荷物は私が引き受けましたから、ここに置いて帰りなさい」と言いました。婦人が帰った後、大師はその側近に「私がここにアシュラムを作ったのは、二十四時間、いつでもダルシャンができるようにするためです。もしそれができないのであれば、アシュラムは潰してしまいなさい」と言って叱りました。
このようにマータ・アムリターナンダマイ大師は、どんなに大勢の人々がダルシャンを求めてきても、決して断るということがありません。実際インドでは、ダルシャンが夕方の五時に始まって翌朝の八時まで続くというようなことも珍しくなく、一九九六年にインドのカリカットで八千人もの人達が集まったときに目撃した人の話では、一時間に千五百人を抱き締め、その間休むことは疎か、食事をすることもトイレに立つこともなかったそうです。
このような事情があるために、会場の時間制限に縛られることの多い、日本でのマータ・アムリターナンダマイ大師のダルシャンは、毎年主催者にとって悩みの種でした。一九九五年五月に東京で行われた大師のダルシャンでは、会場の規則で午後十時には全員が外に出なければならないという状況でしたので、主催者は九時半にダルシャンを終了して三十分で片付けるという計画を立てて(実は、大師には別の計画があったのですが)予め人数を制限していたので、後からきたために、その日にはダルシャンを受けられないといわれていた人達が、五十人ほど会場に残っていました。
ところが予定の九時半になって、あと四、五人でダルシャンが終るというときに、大師が残っていた人達を手招きして呼んでしまったのです。主催者と場内整理の責任者はびっくりしましたが、もはやどうしようもないので、主催者は舞台の上でダルシャンを行っている大師に、意識で「あと五分で終って下さい」とメッセージを送りました。大師はにっこり微笑んだだけでしたが、五十人ほどのダルシャンを約束通り五分で終了させてしまい、残りの二十五分で後片付けを済ませて、無事に会場を出ることができたのです。
単純に計算してみると、一人当り約六秒になり、前述のカリカットにおける機関銃のようなダルシャンに比べれば遥かに余裕があるのですが、それでもかなり早いことは確かです。ところが実際にその場にいた人達の感覚では、ペースを早めたり、手を抜いたりしたという感じは皆無で、それまでと同じ様にダルシャンを続けて、終ってみたら五分しか経っていなかったのです。そしてこれまで、時間通りに終ることができなかったのは、単に主催者が、いつに終ると言う明確な意志を持っていなかっただけだと言うことが判ったわけです。

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