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2014年12月17日15:16

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テロリストという虚言ー戦争の逆輸出

 テロリストという虚言ー戦争の逆輸出 −戦勝国の『負』の遺産

    (「イスラム過激派・イスラム国」という「化物たち?!」誰に裁きが……)
            


「イスラム過激派・イスラム国」などを、先進国・国際社会は「テロリスト」と規定し、それを排斥しようとする。しかし「テロリスト」とは、本来は「要人暗殺」などの特定・殺害行為を言うのじゃなかったか。

 その排斥の「方法」は、テレビやフォトに見るように武力鎮圧「戦闘・戦争」である。しかしながらそれは「国家対国家」の形ではないので「テロリスト規定」とするようだ。

 政争の相手が「人」であっても「部族や国家や民族や人種」の形を成していない。いわば「イスラム原理主義・過激派・思想」が「人」をして「テロリストたらしめ」ているということだ。それは誰ぞの言う「観念による戦争」ということだ。

 よって多くの一般イスラム教徒も「イスラム過激派・イスラム国」を敵視することが出来る。



 しかしながら「イスラム原理主義・過激派・思想」が、思想やイデオロギーであるなら、それらは「文書・電波など」により、インターネットなどで容易に世界中に伝番することが出来る。

 世界各地よりイスラム国に参加した義勇兵はそれを証明するし、そのことは世界各地にシンパを持つことだし、近日あった「模倣犯」などの現れたこともそのことを証明している。

 世界中に散在するイスラム教徒に「イスラム原理主義・過激派・思想」は容易に受け入れやすい素地があるということだ。それは「貧困・不正義・無知」であるのだろうか。

 今年、イスラエルが徹底したパレスチナ弾圧を行ったが、呑気な日本人のどれだけがこのことに非難の声を上げただろうか。そこに学校や病院や民家などは無かったか?!



「マララさん銃撃・婦女子の誘拐・奴隷化・人身売買・少数民族異教徒の虐殺」などなど。彼らのすることは目に余る。当事者であれば「法に照らし・鉄槌を下し」たいだろう。


 しかしながら「憎しみと哀しみの連鎖」で、彼らを看做したり武力鎮圧して良いものだろうか。果たしてそれで「イスラム原理主義・過激派・思想」などというイデオロギーなり、彼らが抱える「貧困・不正義・無知」が胡散霧消するだろうか。

 いいや、何の解決にもならない。何故なら武力鎮圧以前の「対話」がそこにはないからだ。お互いがお互いを「敵」と看做して、彼らもまた「人」であることを見ようとしていない。

「爆弾抱えて、自らの命を犠牲とし」戦うゲリラと「空からピンボケ爆弾ばら撒く」政府軍と「どっちがどっち」ということでもないが、【パキスタン学校襲撃】と報道されたのは「軍人の子弟」の通う学校なのか、それとも一昔前の日本にもあった「少年兵養成学校」なのか。

「…軍学校への銃撃戦」に見るべきは「少年兵よりの高度な育成」として、それはゲリラにとっても脅威という他ない。それとも「ゲリラの少年兵」だけが指弾されるべきだろうか。ここに至ると「報道の公平性」も、ど・う・な・ん・だろう。マララさんを「政治利用」してはならないだろう。



 昼のNHKニュースで、安倍首相がパキスタン首脳に「テロリストと……」などなどと言うのを見た。阿部首相としては「国際世論・先進国決定に同調する」という態度なのだろうが、「如何なものか」と、私は想う。

 まず「テロリスト」という虚言。私は、本来「テロリストー政治的暗殺・殺人者」だと言葉の意味を捉えている。それは「敵の急所を撃つ」意味だ。そして「ただ今あるテロリズム」は「戦争の逆輸出」でしかないと観る。それは「イタチの最後屁・その場の戦場化」を見るような悲劇的なもの。何故なら「国際世論?!」って、強大誇張だろう?!


「テロル」は敵への攻撃であるとして、
   同時に「戦場の逆輸出」であり、
     見るべきはそれが「問題提起」でもあるのではないか?!


 いわんや、この日本でも「ヘイトスピーチ」が罷り通る。ただし、それへの「国際的苦言」をこの政府は「思想信条の自由・言論の自由」として退けている。「大日本」の大国・帝国意識を伏流水として持っている。「GNP第二位・アメリカと肩を並べる」たい意識が見えている。(沖縄戦・大空襲・二発の原爆くらっても…)  
 
 「マジョリティー(大勢)優先・マイノリティー(少数)切り捨て」が、そこには透けて見えている。「アベノミクス→トリクルダウン」なんて最たるものだ。何故ならそれは「トップ → ダウン・ロー」であって、最底辺のグラスにワインの溢れることは無い。だから「中間搾取」などという言葉もある。「政・労・経」の三者会談は「上部」の出来レース・ポーズにしか見えない。  



 「人を殺した・殺された」が問題なのではない。「不正義は何か」が問題なのだ。およそ第二次大戦後に「A・A諸国」に「線引き・国境」を決めた「先進国の負の遺産」が今日の問題の引き金だったことを忘れてはならない。

 およそ「ホロコースト」で迫害された流浪の民・ユダヤ人が、シオニズム運動の中からイスラエルを打ち立てたように、世界中に「出稼ぎに出たアラブ人たち」が、やはり他所でも「差別と迫害」「抑圧と収奪」のもと「何処にも居場所のない」ことに気づき、ならば「自分たちの国を作っちゃえ」てなことでイラクに「建国・イスラム国」を始めたことに、誰が文句を言えようか。

 ただ困るのはイラクだろうし、ある意味「反政府活動」ではあるが、それに諸外国が「手を出す」のも主権侵害に近い。しかし政府が要請してあるなら「作用に対する反作用の野蛮さ」加減。しかし、その意味では「あんたたち、似たもの同志じゃあるまいか?!」 イスラエルなんて「勝手に、無断で、爆弾ばら撒き」してるじゃないか?! 

 「ピンボケ爆弾ばら撒きーオシャレ・自爆テローダサい」みたいな感覚が、「この日本」にも生まれてきてはいないだろうか。およそ「ネット・テレビ・写真」は埃も匂いも出しはしない。増して血の匂いも、肉の腐ってゆく匂いも。戦争・戦闘を「パワーゲーム」ともいうが、決して「ゲーム」なんかじゃない。



 あんた・あなたが、突如として「標的になる」ことの恐ろしさを考えてごらん。「日本が戦争に巻き込まれる」ことを考えてごらん。ならば「平和外交」をお互いに提起すべきだと気づくだろう。

 ネルソンマンデラは言った。「勇気ある人は平和のために許すことを恐れない」「報復するよりも情けをかける方が、この世界ではより多くのことを成し遂げられる」「人は憎しみを学べるのなら、愛を教えてもらうこともできるはずだ。なぜなら、人の心にとって愛することは憎むことよりも自然なことだから」 マララさんの発言は、ここに位置付ける類のものだ。

 「敵視する」のではなく、この言葉の基に「提案・行動」することが「政治家・外交官」のあるべき姿ではないだろうか。安倍首相は国際社会に向けて「みな、仲良くしよう!」と呼びかけるべきなのだ。平和こそが「みんなの繁栄をもたらす」だろう。これって「WinWin」だし、それこそ「平和共存」だろう。






「心臓の弱い人、見ちゃダメ! 」(そうとうエゲツナイものが見えるから…)

https://www.youtube.com/watch?v=hiih-pdmmHE#t=14


戦争ではこのように「大勢の犠牲者」が出ることになる。


 おっと「イスラム国に捉えられた」軍事オタクが一人いたな。

  どうしてるかな……。




■安倍首相「卑劣なテロ許さず」=パキスタンに支援伝達
(時事通信社 - 12月17日 13:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3189415
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