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2014年12月17日10:55

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「黎明」より 第13章 大師 (8)

デボラ・カリナ・スチュワートさんはまだ子供だった頃、ハイラカン・ババジ大師から靴を持ってくるようにと言われました。けれども大師の靴は五十足以上もあったので、彼女はその中から大師の求める靴を自分で探さなければなりませんでした。最初に何となく「これではないかしら」と言う気のする靴があったのですが、その靴はブーツのような形をしており、紐をたくさん掛けなければ履けなかったので、よく川の中に入ったりするために、靴を脱いだり履いたりすることの多い大師には不便だろうと考えて、大師に長年仕えているゴウラ・デーヴィーと呼ばれる年上の女性に、どの靴が良いかを尋ねてそれを持っていきました。ところが大師は彼女の持ってきた靴を見ると「それではない」と言っただけで、何の具体的な説明もしなかったので、彼女はもう一度靴を選ばなければなりませんでした。
二度目には、そこに居た男性が別の靴を示したので(インドでは、男性が大きな決定権を持っているという背景を理解しておいて下さい)、いわれるままにそれを持っていくと、大師は大声を出して「それではない」と彼女を叱りました。彼女はもうボロボロになっていましたが、たとえもう一度間違えたにしても、これ以上は何も失うものはないと覚悟を決めて、最初にそれだと感じた、紐を多く掛ける靴を持っていくと、大師はにっこり微笑んで、「そうだ、この靴だ」と頷きました。彼女はこの体験を、正しい判断と言うものは常に自分の内側から示されているのに、自我意識が余計なことを考え始めたり、外側の誰かに権威を与えて頼ったりすれば、惑わされるだけであると言うことを学びとして受け取ったのです。

またあるとき、長い雨が降り続いて帰依者達が部屋の中で過すことが多かった状況で、ひとりの帰依者が、ハイラカン・ババジ大師にチェスの盤と駒をプレゼントしたことがありました。皆が大師とチェスの勝負をしたところ、大抵の人は二、三分でチェック・メイト(王手)に追い込まれましたが、腕に覚えのある人達の中には、何とかして大師に勝とうと試みる者もいました。自我意識で普遍意識に、つまり人間が神に勝てるはずがないのですが、これはひとつの象徴的な出来事であったわけです。
ハイラカン・ババジ大師は、朝一時間、夜は四時間、内なる意識(サマーディ)に入る他は、休むことなく帰依者と共に外の世界ではたらき、「仕事は礼拝である」と言う大師の言葉通り、他への奉仕を身をもって実践していました。大師は子供達ともよく遊んでいましたが、子供の両足を持って逆様にぶら下げたり、空中に放り投げたりしているのを見て、ある帰依者は「自分が子供だったら、あのようにして遊んで貰えるのに」と非常に羨ましく思いました。
あるとき大師が手招きするので、何だろうと思って側にいくと、大師はその帰依者が大人であり、しかもかなりの体格を持っているにも拘らず、同じ様に空中に放り投げて遊んでくれたのです。このように、大師は帰依者の求めるものは何であれ、よく与えていましたが、その一方で「私が本当に与えたいものを求める者は少ない」とも語っています。

帰依者のひとりひとりは、意識の発達途上にあるために大師の元に集まるわけですから、そこには色々な人間的な問題が起きてくるのは当然のことです。多くの帰依者達は、大師の寵愛が自分に向けられることに強い関心を持っていますから、誰か他の帰依者が自分よりも大師に近付くように感じると、嫉妬したり、その人の悪口をいって陥れようとしてり、およそ日頃学んでいる真理とは正反対の行為をやり始めることがよくあります。
このようなとき、大師が帰依者を導く手並は、なかなか興味深いものです。例えばハイラカン・ババジ大師は、誰か特定のひとりをさも特別であるかのように扱い、その人がつい自我意識を膨らませて有頂天になると、ある日突然に無視する、というようなことをよくやりました。また、権力欲のある帰依者に重要な地位を与えておいて、他の帰依者にはその人のいうことを聞かないように指示したこともありました。
大師の帰依者に対する導き方には色々な個性があり、ごく一例をあげれば、ヒンズー教のヴィシュヌ神のエネルギーを持つ大師は、素質のある帰依者の神性を引き出しますし、シヴァ神系の大師は、帰依者の自我を破壊します。
「ヴィシュヌは、最も勝れた帰依者を手に入れる。だが俺の所にくる奴らを見てみろ」
(ハイラカン・ババジ大師 “I am Harmony” P-347,L-4 日本語版「ババジ伝」三百七頁 ラディシャム 著
はんだまり 訳 森北出版 引用文の訳は著者)

長い間大師の傍にいる人達は、いつの間にか自分が大師の認識を把握していると錯覚して、恰も自分が大師の言葉を代弁するかのように、新参者に対して自分勝手な解釈を押し付けるようなことも多々あります。ですから、そのような人達に惑わされないように注意すべきですし、自分達もまた同じ誤ちを犯さないよう、
常に気を付けていなければなりません。特に大師に対する思い入れが強い人の場合には、自我意識が造り出した、只の迷妄に過ぎない考えを大師の権威に投影して絶対化し、周囲の人達を巻き込んで様々な問題を引き起すことが非常に多くありますので、このような偽物に翻弄されることのないよう、真実とそうでないものについて確実に識別を行うことができなくてはなりません。また必ずしも利己的な動機でなくても、大師を大切にしようという気持ちが、結果的に他の帰依者に対して排他的な言動になってしまう間違いもしばしば起ります。
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