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2014年12月14日17:54

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1937.12.13 南京虐殺……。


1937.12.13 南京虐殺


南京大虐殺、南京大虐殺事件、南京虐殺事件、The rape of Nanking (名称の種類と変遷)

・南京事件(なんきんじけん)は、日中戦争(支那事変)初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際(南京攻略戦)、約6週間から2ヶ月にわたって中国軍の便衣兵、敗残兵、捕虜、一般市民などを殺したとされる事件。

この事件については、事件の規模、存否を含めさまざまな論争が存在している(南京大虐殺論争)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6_%281937%E5%B9%B4%29


・南京大虐殺論争(なんきんだいぎゃくさつろんそう)とは、日中戦争中の1937年(昭和12年)12月に起きた南京事件に関して、事件の存否、規模(誇大に表現されている場合があること)を論点とした論争である。

論争は日中関係を背景に政治的な影響を受け続けた[1]。

この論争に様々な説があるのは、それぞれの説に「日本軍による不法殺害の定義」「それが行われたとされる地域や期間」「埋葬記録や人口統計などの資料の解釈」についての相違があることによっている[2]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E8%AB%96%E4%BA%89

以上「Wikipedia」より



 忘れては、ならない。似たようなことを、繰り返してもならない。

 しかし「この日」」を、ほとんどの日本人は「知らない?!」

 歴史の授業の「習い事」でしかない。そして生徒は、ほぼ、この事件に関心が無い。歴史とは「あった事」だが、日本の近年は「書き換え出来る」ことでもあるらしい。

 しかし、中国の人々にとっては「忘れられない出来事」としてあるだろう。

 およそ「加害者・被害者」の関係が「ここ」には厳然と横たわるのだが、それを「日本人」は見ようとしない。

「悪さをしたなら、相手に謝る」

 大人は、子供に教えるだろう。するだろう。

 それを、今日日は「自虐史観」というらしい、……。



「アベノミクス」の大号令のかかる中、「さてさて、日中友好、経済強化、商売、しょうばい……」などと考えている輩もいるのだろうが、「世界は日本を厳しい目で見ている」ことを忘れてはならない。


 蒋介石が「中国の同胞よ、既往をとがめず、徳を以って怨みに報いることこそ中国文化の貴重な精神文化であると肝に銘じてほしい。」と言ったとして、「毛沢東」はそんなことを言ってはいない。

(しかし、当時蒋介石のこの言動により、祖父は日本に帰ってこれた。)


 ここに日本と中国との「歴史認識問題」の大きな溝がある。「戦後賠償」の話がきちんと出来ていないという事だ。近年に起きた「日本人(商社)排斥運動」の深淵でもある。

「経済支援を続けて来た」と言ってみたとて、中国民衆は「そのこと」を「あたりまえだろう・まだ謝罪の言葉が無い」などと見ているだろう。


 習近平氏が、ネルソン・マンデラのように「勇気ある人は平和のために許すことを恐れない」「報復するよりも情けをかける方が、この世界ではより多くのことを成し遂げられる」「人は憎しみを学べるのなら、愛を教えてもらうこともできるはずだ。なぜなら、人の心にとって愛することは憎むことよりも自然なことだから」などと言ってくれると想うかい?!




 さて、私も歴史を「見た」訳ではない。まだ生まれてもいない。なのに何故、知っているのか。

 それは「祖父との語らい」の中にあった。二度も徴兵された祖父と「南京虐殺はあったのか」ということを、私は祖父に聞いたことがある。

「戦争はあった。けれど、あんなに大きな数字じゃない」→30万人。

「当時、そんなに殺せるほどの日本軍がいたわけじゃない。ただ、民間人と便衣兵、また国民党軍や八路軍の区別は難しい」→虐殺・百人切り・肝試しなど。

「中国人を、日本人と同じ"人"とは思ってなかった。だから"酷い事"もできた」

 

 今、私が思うに、たぶん「中国・敵地に乗り込む」事自体が「過剰防衛・虐殺」に繋がったのではないのだろうか?!

 「祖国防衛」と「大東亜の解放・その"名"での植民地化」では、「戦争の質」としても雲泥の差があるということだ。


 およそ祖父は「戦争について」語るのは少ない。ただ酒に酔うと軍歌を謳う。放歌する。

「私のラバさん、酋長の……」などと。

 最初はビルマ戦線、二度目の徴発は中国大陸、満州で終戦を迎えたことが「無事の帰還」であったらしい。古参兵として皆に大事にされたと聞いている。もっと話を聞くべきだった。



 さてさて、明日は「安倍総理の再登板」になるだろうが、安倍総理は習近平氏と、どのように「日中関係」を築いてゆくだろうか。

「侵してはならず、侵されてはならず」これは結構 む・つ・か・し・い。

 アメリカへのスタンスと、日本へのスタンスが、中国にとってみて「同列」に語られることは無いはずだ。

 およそ「戦後の清算」なくして、平和共存など絵空事だろう。

 
                     ではでは


参考までに

「ドイツ」では、大統領が「過去の清算」として、以下のように述べた。また「戦後賠償」も国民すべてが参加した。

『荒れ野の40年』 ―ウァイツゼッカー大統領演説全文
                   1985年5月8日 (岩波ブックレット)

http://www.amazon.co.jp/%E8%8D%92%E3%82%8C%E9%87%8E%E3%81%AE40%E5%B9%B4%E2%80%95%E3%82%A6%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%84%E3%82%BC%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E6%BC%94%E8%AA%AC%E5%85%A8%E6%96%87-1985%E5%B9%B45%E6%9C%888%E6%97%A5-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-%E6%B0%B8%E4%BA%95-%E6%B8%85%E5%BD%A6/dp/400004995X

ネットで探せば「全文掲載」というのもある。
                         ではでは

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コメント

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