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2014年12月12日02:21

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参考、マララさん受賞演説…日本語訳の全文 「1人の子供、1人の教師、1本のペン、1冊の本が世界を変えられる」。

参考、提案書、死の商人の共犯者から脱出を!! 兵器を捨ててすべての子供に教育を!!

参考、「なぜ戦車をつくることは簡単で、学校を建てることは難しいのか」
 マララ・ユサフザイさんノーベル賞受賞スピーチ全文
 http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/10/nobel-lecture-by-malala-yousafzai_n_6302682.html
ノーベル平和賞の授賞式が12月10日、スウェーデンの首都ストックホルムで開かれ、
少の受賞となったパキスタン人のマララ・ユスフザイさん(17)と、
インドの人権活動家であるカイラシュ・サティヤルティさん(60)に、メダルと賞状が送られた。

女性や子供の教育の権利を訴えて活動してきたマララさんは、
式典で「なぜ戦車をつくることは簡単で、学校を建てることは難しいのか」と講演。
発展途上国の子供たちの教育環境の改善が、進みが鈍いことを指摘し、
各国の政治家に教育に力を入れるよう求めた。

親愛なる兄弟姉妹のみなさん。
いわゆる大人の世界であれば理解されているのかもしれませんが、
たち子供にはわかりません。
なぜ「強い」といわれる国々は、戦争を生み出す力がとてもあるのに、
平和をもたらすことにかけては弱いのでしょうか。
なぜ、銃を与えることはとても簡単なのに、本を与えることはとても難しいのでしょうか。
なぜ戦車をつくることはとても簡単で、学校を建てることはとても難しいのでしょうか。
・・・・・・

参考、「1人の子供、1人の教師、1本のペン、1冊の本が世界を変えられる」。
 マララさん受賞演説…日本語訳の全文 2014年12月11日
 http://www.yomiuri.co.jp/world/20141210-OYT1T50114.html
国王、皇后陛下、ノーベル委員会の皆さん、親愛なる姉妹兄弟の皆さん。
今日は私にとって、とても幸せな日です。
ノーベル委員会がこの貴い賞に私を選んでくださり、恐縮しています。

 皆さんの継続的な支援と愛情に感謝します。
今も世界中から届く手紙やカードをうれしく思います。
親切で、激励してくれる一言一言が私を強くし、鼓舞してくれます。

 両親の無条件の愛に感謝します。
私の翼を切り取らず、羽ばたかせてくれていることを父に感謝します。
私が忍耐強く、常に真実を話すよう奮起させてくれていることを母に感謝します。
これこそ、イスラム教の真のメッセージであると、私たちは強く信じています。

 この賞を受ける最初のパシュトゥン人であり、最初のパキスタン人であり、
最初の若者であることをとても誇りに思います。
そしてまた、まだ弟たちとけんかするような
ノーベル平和賞受賞者は初めてだと確信しています。
私は世界中が平和になってほしいと思っていますが、弟たちと私はまだその途上です。

 長い間、子供の権利の擁護者であり続けてきたカイラシュ・サティアルティさんと
受賞できることも光栄です。 私が生きてきたよりも実に2倍の長さです。
また、私たちが並んで立つことで、インド人とパキスタン人が平和的に力を合わせ、
子供の権利のために共に活動できると世界に示すことができて、うれしく思います。

 兄弟、姉妹の皆さん、私は、感銘を与える、パシュトゥン人のジャンヌ・ダルク
「マイワンドのマラライ」にちなんで名付けられました。
「マララ」という言葉は「悲しみにうちひしがれた」「悲しい」という意味ですが、
それに幸福の意味を与えるため、祖父はいつも、
私をマララ、世界で最も幸せな少女と呼んだのでした。
私は今日、私たちが重要な目標のために共に立っていることをとても幸せに思います。

 この賞は私だけのものではありません。
教育を受けることを望む、忘れられた子供たちのものです。
平和を希求する、おびえた子供たちのものです。
変革を望む、声なき子供たちのものです。

 私は彼らの権利のために立ち上がり、彼らの声を発信するため、ここにいます。
彼らを気の毒に思うのではなく、教育の機会を奪われた子供たちを見るのは
これで最後になるよう行動すべき時なのです。

 人々が私をいろいろな表現で説明していることがわかりました。
タリバンに撃たれた少女と呼ぶ人もいます。
権利のために闘った少女という人もいます。
今は、ノーベル賞受賞者と呼ぶ人もいます。

 私の知る限り、自分はただ、全ての子供が質の高い教育を受けることができ、
女性に平等な権利があり、世界全体に平和が行き届いてほしいと願っている
献身的で頑固な人間なのです。

 教育は人生の恵みの一つであり、生きる上で欠かせないものです。
それこそが、私の17年間の経験です。
パキスタン北部スワート渓谷の故郷で、私は学校に行き、
新たなことを学ぶことがいつも大好きでした。
何か特別なことがあると、私は友達と一緒にヘナ(染料)で手を装飾したことを覚えています。
私たちは花や模様の代わりに、手に数式や方程式を描きました。

 私たちは教育を渇望していました。
なぜならば、その教室に私たちの未来があったのですから。
共に席に着き、読み、学びました。
きちんとした学生服に身を包むのが大好きで、大きな夢を抱きながら着席したものでした。
私たちは親に誇りに思ってもらいたかったし、
学業優秀で物事を成し遂げられるのだということを証明したかったのです。
それは、男の子だけができるのだと思っている人もいます。

 物事は不変ではありません。
10歳の時、美と観光の地であるスワートが、突如としてテロリズムの地と化したのです。
400を超える学校が破壊されました。 女子は学校に行くことを禁じられました。
女性はむち打たれました。 罪なき人々が殺されました。
みんなが苦しみました。 私たちの美しい夢は悪夢に変わりました。

 教育は権利から犯罪に変わりました。
しかし、環境が突如として変わった時、私の優先すべきものも変わりました。

 私には二つの選択肢がありました。 一つは声を上げず、殺されるのを待つこと。
一つは、声を上げて、殺されることです。
私は後者を選びました。 私は声を上げようと決めました。

 テロリストは私たちを止めようとし、2012年10月9日、私と友人たちを襲いました。
しかし、彼らの銃弾は勝利をもたらしませんでした。

 私たちは生き延びたのです。
その日から、私たちの声はさらに大きくなっていったのです。

 私が自分の話をするのは珍しいからではなく、珍しくないからです。
これは多くの少女の話なのです。

 今日、私は彼女たちの話もします。 私はオスロに何人かの「姉妹」を招きました。
彼女らはパキスタンやナイジェリア、シリア出身で、この話を共有しています。
私の勇敢な姉妹であるシャジアとカイナート・リアズは、
あの日スワートで私と一緒に撃たれ、彼女らも悲惨なトラウマを経験しました。
ひどい暴力と虐待を受けたパキスタン出身のカイナート・スームロは、
兄を殺されましたが、屈しませんでした。

 そして、マララ基金運動で知りあった少女達もいて、今では姉妹のようです。
妹のような存在の、勇気ある16歳のシリア出身のメゾンは、ヨルダンの難民キャンプに住み、
テントからテントへと回って少年少女に勉強を教えています。
そして、ナイジェリア北部出身のアミナです。 そこでは単に学校へ行きたいと望むだけで、
(イスラム過激派組織)ボコ・ハラムが少女を脅し、誘拐しているのです。

 私は、ハイヒールを含めても身長5フィート2インチの、
1人の女の子、1人の人間にしか見えないかもしれません。
でも、私は1人ではなく、大勢の人の代弁者なのです。

 私はシャジア。

 私はカイナート・リアズ。

 私はカイナート・スームロ。

 私はメゾン。

 私はアミナ。 私は教育の機会を奪われた6600万人の少女と同じなのです。

 なぜ少女の教育が特に重要なのかと人々が聞いてきます。 私の答えはいつも同じです。

 私が聖なるコーランの最初の2章から学んだのは、
「読む」という意味の「イクラ」という言葉、
そして「ペンにかけて」という意味でしょうか、「ナン ワルカラム」という言葉でした。

 だから、私が昨年国連で述べたように、
「1人の子供、1人の教師、1本のペン、1冊の本が世界を変えられる」。

 今日、世界の半分では急速な進歩、近代化、発展がみられます。
しかし、何百万もの人々が飢餓、貧困、不正、紛争という
昔ながらの問題に依然として苦んでいる国もあります。

 確かに、私たちは今年、第1次世界大戦勃発から1世紀が過ぎたことを思い起こしました。
しかし私たちは、100年前に何百万人もの命が失われたことで得た
全ての教訓をまだ学んでいません。

 大勢の無辜(むこ)の民が命を奪われた紛争は今もあります。
多くの家族がシリア、ガザ、イラクで難民となっています。
ナイジェリア北部ではいまだに学校に自由に行けない少女たちがいます。
パキスタンとアフガニスタンでは罪なき人々が自爆テロや爆弾によって殺されています。

 アフリカの多くの子どもたちが貧困のため学校に通えません。

 インドやパキスタンの多くの子どもたちは
社会的なタブーから教育の権利を奪われています。
もしくは児童労働にかり出され、少女たちは幼くして結婚させられています。

 学校の親友の一人は、私と同じ年齢ですが、いつも度胸があり自信のある女の子でした。
彼女の夢は医者になることでしたが、夢のままです。
12歳で彼女は無理やり結婚させられ、わずか14歳で息子を産みました。
彼女自身がまだ子供の年齢だというのに。 彼女はきっと良い医者になれたでしょう。

 しかし彼女は医者にはなれませんでした。 なぜなら、女の子だったから。

 彼女の話こそ、私がノーベル賞の賞金をマララ基金に充てる理由です。
どこにいる女子にも質の高い教育を与え、
私やメゾン、アミナのような女の子を助けるよう指導者たちに求めるためです。
最初の資金提供は私の心がある場所、パキスタンで、
特に故郷のスワート、シャングラで学校を建てるために使われます。

 私の村では女の子のための中等学校がいまだにありません。
私はそれを建てたいのです。
そうすれば私の友人たちが教育を受け、夢をかなえるための機会を得られるのです。

 そこは私が始める場所ですが、終わりの場所ではありません。
私はすべての子供が学校に通えるまで戦い続けます。
私は攻撃に耐えた後、ますます強くなったと感じます。
なぜなら、誰も私を、私たちを止めることができないと知ったから。
今、私たちは数百万人で一緒に立ち上がっているからです。

 みなさん、マーチン・ルーサー・キング(牧師)、ネルソン・マンデラ(元南アフリカ大統領)、
マザー・テレサ、アウン・サン・スー・チー氏のような 変革をもたらした偉大な人々も、
かつてこの壇上に立ちました。 サティアルティさんと私がたどってきた歩みと、
そしてこれから歩む旅も同じような変革、長く続く変革をもたらすことを願います。

 私の大きな希望は、これが子供の教育のために
私たちが闘わなければならないのは これで最後になるということです。
この問題をきっぱり解決できるよう、一緒になって私たちの運動を支えてください。

 私が言ったように、私たちはすでに正しい方向にいくつものステップを踏んできています。
今こそ躍進するときです。

 指導者に教育の重要性を認識させるときではありません。
彼らはすでに気づいています。
彼らの子供たちは良い学校に通っています。
今は彼らに行動を呼びかけるときです。

 私たちは、世界の指導者たちが結束し、教育を最優先とすることを求めます。

 15年前、世界の指導者たちは「ミレニアム開発目標」を世界的な目標に定めました。
その後の年月で、いくらかは進展しています。
学校に行けない子供の数は半分になりました。
しかしながら、世界が重点的に取り組んでいるのは初等教育の拡充だけで、
その進展は全ての人には届いていません。

 来年2015年には、次の目標、「持続可能な開発目標」を決めるために
世界中から代表者たちが国連に集まります。
これは、何世代にもわたる世界の目標になるでしょう。
指導者たちは、無償で質が高い初等、中等教育を
全ての子供に保証するために、この機会をつかまなければなりません。

 これは非現実的で、費用がかかりすぎる、難しすぎる、もしくは不可能と言う人もいるでしょう。
しかし、世界はより大きく(このことを)捉えるときです。

 みなさん、いわゆる大人の世界では これは理解されるかも知れませんが、
私たち子供には理解できません。
なぜ、「強国」と呼ばれる国々は、戦争を起こすことにはとても力強いのに、
平和をもたらすことには弱いのでしょうか。
なぜ、銃を与えることはとても簡単なのに、
本を与えることはとても難しいのでしょうか。
なぜ、戦車をつくることは簡単なのに、
学校を建てることは難しいのでしょうか。

 私たちは、21世紀という現代に生き、不可能なことは何もないと皆が信じています。
私たちは月に到達できるし、おそらく火星にもまもなく降り立つでしょう。
そして、この21世紀において、
全ての子供たちが質の高い教育を受けられる夢の実現に向けて、
私たちは決心しなくてはなりません。

 全ての人のために平等、正義、平和をもたらしましょう。
政治家や世界の指導者だけでなく、私たち皆が貢献しなければなりません。
私も、あなたも。 これは私たちの義務なのです。

 ですから私たちは行動しなくてはなりません。 待っていてはいけません。

 私は仲間の子供たちに世界中で立ち上がろうと呼びかけます。

 みなさん、これで終わりにしようと決めた最初の世代になりましょう。

 誰もいない教室、失われた子供時代、無駄になった潜在能力―
―これらを私たちで終わらせましょう。

 男の子や女の子が子供時代を工場で過ごすのはもうこれで終わりにしましょう。
少女が早婚を強いられることも、
戦争で罪のない子供の命が失われることも、
教室が空であり続けることも、
少女が教育を受けることが権利ではなく罪だと言われることも、
子供が学校に通えないことも、
これで終わりにしましょう。
この終わりを始めましょう。

 私たちで終わらせましょう。
ここから今すぐ、より良い将来を築きましょう。

 ※マララさんの演説全文の日本語訳は、ノーベル財団事務局から提供された演説の
を基に作成しました。 実際の演説の内容と異なる部分があります。
2014年12月11日 00時36分 Copyright コピーライト The Yomiuri Shimbun

参考、ノーベル平和賞 2人にメダル 12月11日
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141211/k10013881061000.html
ノーベル平和賞の授賞式がノルウェーで始まり、史上最年少の17歳での受賞となったパキスタンのマララ・ユスフザイさんとインドの人権活動家カイラシュ・サティヤルティさんにメダルと賞状が贈られました。

ことしのノーベル平和賞の授賞式は、日本時間の午後9時すぎからノルウェーの首都オスロの市庁舎で始まりました。
初めにノーベル平和賞の選考委員会のヤーグラン委員長があいさつし、2人こそアルフレッド・ノーベルが求めた平和の擁護者にふさわしいとたたえました。
そして、サティヤルティさんについては、「時には暴力を振るわれながらも児童労働の廃絶に向けて取り組んできた。サティヤルティさんは自分が生きている間に児童労働をなくせると信じており、ここにいる誰もがその希望を分かち合っている」と述べました。
またマララさんについてはイスラム過激派組織に襲撃されたことなどに触れ、「彼女はことばにならないほどの勇気を示している。女性も教育を受ける権利があるという確信のもと活動してきた」と評価しました。
また、領土問題などを巡って対立が続くインドとパキスタンの出身の2人が受賞したことに触れ、「年齢も離れ、イスラム教とヒンズー教と宗教も異なる2人が受賞したことは、まさに今、世界に必要な団結を象徴している」と述べて、両国の関係改善につながることに期待を示しました。
そして、2人は順番に壇上に招かれてヤーグラン委員長からメダルと賞状が手渡され、2人が並んで笑顔でメダルを掲げると、会場からは大きな拍手が沸きました。

マララさん「きょうは幸せな日」
マララさんは日本時間の午後10時すぎから受賞のあいさつを行い、
「きょうは本当に幸せな日です」と喜びを語りました。
そして会場に来ている両親に向けて、
「無償の愛を注いでくれた両親にも感謝したいと思います。
 父は私の翼を折らずに羽ばたかせてくれました」
と感謝の気持ちを述べると会場から大きな拍手が贈られました。
マララさんは「最初のパシュトゥン人、最初のパキスタン人、最初の若者として
 平和賞を受けることをとても誇りに思っています」と述べたうえで、
「きっといまだに弟たちとけんかをしている最初のノーベル平和賞の受賞者でもあるでしょう」
とユーモアを交えて話すと会場からは笑い声も上がっていました。
そのうえで、「この賞は私だけのものではありません。
 教育を求める、忘れ去られた子どもたちのためのものです。
 平和を求める、おびえた子どもたちものです」と述べました。
さらにおととし、パキスタンで通学途中にイスラム過激派組織に襲撃されたことに触れ、
「私には2つの選択肢がありました。 1つは沈黙したまま殺されるのを待つこと。
 もう1つは声を上げて殺されること。 私は後者を選びました。 声を上げることにしたのです」
と振り返りました。
そしてマララさんは「私が自分の話をするのはそれが特別だからではなく、
 むしろありふれた話だからです」と述べ、
今も世界各地で多くの女の子が学校に通えない現状の改善を訴えました。
またマララさんは「なぜ、銃をばらまくのはそんなに簡単で本を配るのは難しいのでしょうか。
 なぜ、戦車を作るのはそんなに簡単で 学校を作るのは難しいのでしょうか」
と各国の政治家に教育に力を入れるよう求めました。
最後にマララさんが「子どもが学校に行けない状況はもう終わりにしましょう。
 ここから、今からよりよい未来を築きましょう」と呼びかけると
会場に集まった人たちから盛大な拍手が贈られていました。

サティヤルティさん子どもを守る必要性強く訴え
サティヤルティさんが壇上に上がり、
「私は声を上げられない無実の子どもの嘆きを背負いここにきました。
 子どもたちは、われわれすべての子どもたちです。 その声を夢を分かち合いたいのです」
とあいさつしました。
そして、「子どもたちの夢を否定すること以上の暴力はありません。
 私の人生の目的はすべての子どもが自由に育ち、学び、夢を見られるようにすることです」
述べました。
また、スピーチの途中、サティヤルティさんが突然、手元を探し始め、
「今失われているもの、それは私の原稿です」と話すと会場の人たちから笑みがこぼれ、
それに続けて、「きょうはたくさんのハプニングがある。
 そして、最もすばらしいのは若い勇気のあるパキスタンの少女がインドの父に会い、
 インドの父がパキスタンの娘と会ったことだ」
とユーモアを交えて話すと大きな拍手が送られました。
そして最後に、「きょうという日は、すべての子どもたちが生きる権利、自由という権利、
 健康で教育を受ける権利、安全に暮らす権利、尊厳をもつ権利、
 平和に生きる権利を獲得する日です」と述べ子どもたちを守る必要性を強く訴えました。
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ノーベル平和賞 マララさんらが会見 (12月10日 0時39分)
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141210/k10013851111000.html

参考、ノーベル物理学賞 3人にメダル授与 12月11日
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141211/k10013885461000.html
ことしのノーベル賞の授賞式が日本時間の11日未明に行われ、物理学賞に選ばれた赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さんの3人にスウェーデン国王から記念のメダルと賞状が贈られました。
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141211/K10038854611_1412110712_1412110721_01.jpg
ことしのノーベル物理学賞は、青い光を放つLED=発光ダイオードの開発に成功し、あらゆる色の光を作ることを可能にしたとして、名城大学教授の赤崎勇さんと、名古屋大学大学院教授の天野浩さん、カリフォルニア大学教授の中村修二さんに贈られました。
授賞式は日本時間11日午前0時半からスウェーデンのストックホルム中心部のコンサートホールで行われ、えんび服に身を包んだ3人は各賞の受賞者の中で最初に入場しました。
式では物理学賞の選考委員が「非常に粘り強く、多少の幸運も伴って、窒化ガリウムのきれいな結晶を作り出すことに成功した。今ではLEDが街や家庭など至る所で利用され、地球上の暗闇に明かりをともした。節電や環境の改善にもつながっている」と述べて、その功績をたたえました。
このあとファンファーレが鳴り響くなか、赤崎さん、天野さん、中村さんの順に舞台の中央に進み、スウェーデンのグスタフ国王から記念のメダルと賞状を受け取りました。
3人は、緊張した面持ちを崩さずに舞台上の参列者や会場の出席者に一礼し、式典を見守っていたそれぞれの家族は笑顔で拍手を送っていました。
日本時間11日午前3時からは、スウェーデンの王族も出席する晩さん会が開かれ、3人は、家族とともに出席することにしています。
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ノーベル物理学賞の3人 授賞式終わる (12月11日 12時07分)
ノーベル物理学賞 3人が共同会見 (12月9日 5時43分)
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141209/k10013825091000.html
関連リンク
くらし☆解説 「ノーベル物理学賞 青色LEDってすごい!」 解説委員室ブログ (10月9日)
 http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/200615.html

参考、ノーベル平和賞候補。 16歳パキスタン少女マララ・ユスフザイの奇跡
 http://matome.naver.jp/odai/2136377417785706401

   世界が平和に包まれ 平安をえられますように

参考、モーツァルトの子守唄(ほーら、泣きやんだ!ベスト・コレクション)
 https://www.youtube.com/watch?v=6aergYvE9S4

   世界が平和に包まれ 平安をえられますように

参考、2014年12月13日 富士山の「噴火の目」の地震と富士王朝の復活
 http://tenkataihei.xxxblog.jp/
 http://livedoor.blogimg.jp/tackeypeace/imgs/d/f/df23342b-s.jpg
 一昨日11日の午後15時過ぎ、ここ八ヶ岳南麓地域である山梨県北杜市では、突如「ドンッ」突き上げるような地震を感じました。

発生当初から「これは火山性の地震だな」と思いましたが、案の定、震源地は「富士五湖」となっており、具体的には、山梨県の東、富士山の北東エリアでした。

この「富士山の北東エリア」の地震、これは当然ながら場所的には富士山の噴火、マグマと関係している場所であり、ここは通称「噴火の目」と呼ばれる、富士山の噴火に繋がる明確な前兆現象として捉えられているポイント地点です。
 http://livedoor.blogimg.jp/tackeypeace/imgs/8/8/88a594c0-s.png
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