たかみな、中森明菜は“神的存在” 「一目見たい…」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=3180065
なぜか最近、あのヨッツ・ガジュマル、ではなくミッツ・マングローブをはじめとして明菜待望論が巻き起こっているのだが、姿を消すちょっと前からテレビの歌番組でも言動やまなざしがおかしかった。
カウンセリングが必要なレベルだったと思うのだが、そういう治療もやったのかどうか?
中森明菜という歌手が一時代を築いたことは確かだが、レビューで書いたように、あくまでも松田聖子の陽に対する影の魅力としての明菜があったと私は思っている。それは山口百恵が切り開いた女性アイドルの道を、そのままなぞってしかも何度か失敗したのが聖子だったし、トライするまえに降りてしまったのが明菜だろう。
そしていまのAKBにも通じる、女子アイドルと恋愛・結婚もまた、聖子と明菜は大きな教訓を残した。それは平凡な主婦、幸福な家庭をめざした百恵とはちがう方向性であって、それは女子アイドルにおしつけられたステレオタイプと個人との葛藤でもあった。
クリント・イーストウッドの映画『ミリオンダラーベイビー』のなかのヒロイン、女子ボクサーの栄光と悲劇はそのまま中森明菜に重なって見えてしまう。
たかみなが、あるいはヨッツ、じゃなくミッツが憧れるのは、その悲劇性ゆえではないのか?とも思ったりする。
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