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2014年12月10日05:34

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歴史散歩ーーー254 「今川橋跡」

12月2日の千代田区鍛冶町のそぞろ歩き時に見つけたのが「今川橋跡」の碑と、「今川橋の由来」が書かれた説明板。

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千代田区の作っている町名由来板はmixi日記で相当数紹介しましたが、町会が立てているものはちょっと珍しいです。鍛冶町1丁目町会の由来は写真で読んでいただくとして、今川橋交差点にある「今川橋の由来碑」に書かれた文がありましたので、それを載せておきます。

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今川橋の由来
今川橋が神田堀(神田八丁堀、龍閑川)に架設されたのは、天和年間(1681〜1683年)と記録がある。橋名の由来は当時の名主、今川氏の尽力により架けられたもので、その名が残りました。この橋は、日本橋から中山道に通じる重要な橋でもありました。神田堀は、現在の千代田区神田、中央区日本橋地域の境を流れ、その役割は非常に大きく当時の運輸手段の主流でもありました。昭和25年(1950年)龍閑川は埋め立てられ、360年の慣れ親しんだ今川橋も撤去され、現在その面影もありません。江戸時代この橋辺には陶磁器をあきなう商家が立ち並び、大層賑わったといいます。また「今川焼」は、今川橋付近の店で売り出されたことにより、命名されました。
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今川橋・・・・・この橋は、今はどこを探しても見出すことのできない過去のものとなりました。しかし、昔を知っている人には懐かしい、思い出の橋であったかと思います。東山ビル北側の細い道路−ビルの正面に向かって左側を境にして隣は千代田区になりますが、この細い道路の所を、昭和25年以前は竜閑川という川が流れていました。この川は宮城の外濠(常磐橋のあたり)から東に向かって流れ、このビルのあたりを経て昭和通りを横切り、浅草橋から柳橋へと流れておりました。古い歴史の資料を見ますと、江戸時代の掘り割りとして、元禄4年(1691年)に人工的に造られたことが記録されています(竜閑川は当初、神田堀と呼ばれていました)。
昭和51年5月8日に東山興業株式会社によって建立された「今川橋のあとどころ」より。
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