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2014年12月07日10:10

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TRPGという遊びを再定義する

■歴史の整理
RPGとは1970年代初頭に「盤面とダイスを使い英雄がモンスターと戦闘するゲームであるChainmail」と「そこで戦う英雄にパーソナリティーをつけたごっこ遊び」が接合してDungeons&Dragons(R)として最初にイノベーションされたものである。

■仮説から導いた知見
しかしながら今遊ばれているTRPGにそれはどう受け継がれているだろうか?

ルールで「盤面を使わない」「ダイスを使わない」ものも数多くある。ランダム要素のブレイクスルー(切り札)などもある。つまりDungeons &Dragons(R)はTRPGを遊ぶルールに必要な要素を全てもつが、TRPGにはDungeons&Dragons(R)に含まれる要素全てが必要ではない。
これらの共通項を探すことでTRPGの本質が見えてくるのだ。
おそらくは、状況が移ろいそれに対応する機会(opportunity)が発生するルールがあれば成立すると思われる。それを短時間で大量に繰り返し発生させられるのがダイスやカードのランダム性であると位置付けられる。

またなぜ「ごっこ遊び」が正しくて「演技」ではないのかを整理しよう。それはプレイヤーがキャラクターをどう演じるかの姿勢で説明できる。映画やドラマの役者は約束された結末を迎えるための筋道を表現する演技であり、ごっこ遊びとは役になりきって状況判断をする即興劇でアドリブだからだ。
演技を楽譜のあるオーケストラとすれば、ごっこ遊びはDM(またはGMなど)が奏でるリズムラインに即興で音を合わせるJAZZセッションのようなものなのである。
なので演劇や映画のような壮大な設定を受け入れたとしても、そこに登場するキャラクターたちは必ずしも脚本家に従うわけではない。それを誘導するのは構わないが、強制的に従わせることはRPGの本質に反するのだ。

■最小単位のTRPGとは?
「状況に対応する = アドリブで判断する 」機会を準備し解決する。これがTRPGの遊び方の本質だとすると、ゲームとして成立するには補完させる必要のある項目が幾つかある。

まず解決するのは誰かという点だ。プレイヤー自分自身が機会を得て対応するのはリアルな現実や仮想現実での遊び方である。なのでTRPGでは仮想世界のキャラクターにプレイヤーの自我を投射することが必要になるといえる。

次にDM(またはGMなど)が果たす役割を考えよう。これはTRPGがコンピューター処理のゲームへ派生したことから簡単に説明がつく。求められる要素は2つだ。
(1)プレーヤーの行動結果(ランダム要素の結果を含む)が状況にどのような結果を及ぼしたかの判定。
(2)プレーヤーが関わらなくとも変化する(変化しない)情報のプレーヤーへの開示。
前者は、ゲームのルール運用と合理的判断に分けられる。
後者は世界観の説明とTRPGのシナリオと言われる部分に該当する。
コンピューターでは、プレーヤーの行動を機器の操作で判断しアルゴリズム結果を返す。また遊ぶ舞台の情報はテキストだけではなくビジュアルやサウンドで表現する。ムービーなどが該当するだろう。そしてアルゴリズムの繰り返しでストーリーを誘導できる。
さて人間がDM(またはGMなど)をする楽しみとは何だろうか。ここはプレーヤーの楽しみを別視点で考えると答えが出る。「対応しなければならない問題をぶつける = 課題や挑戦を考える」ことでプレーヤーを楽しませる。そのコミュニケーション機会の想像がDM(またはGMなど)の楽しさであり、プレーヤーからの賞賛が喜びになるのだ。

答えが間違っている課題や挑戦は混乱するし、誰にでもできる簡単な挑戦も興が削がれる。ジレンマを抱えつつ苦渋の選択をさせたり、絶望から起死回生を見いだすなどの演出とストーリーラインが重要になる。
そう考えると、多すぎる情報や偏った演出はプレーヤーを疲弊させるだけになりかねない。

また、与える情報に命令があってはならない。それはプレイヤーの選択を奪うことでTRPGの本質を損なうのだ。あくまで提案にとどめ判断はプレイヤーに委ねるべきなのだ。

そしてその選択には合理的な回答をしなければならないのだ。
(不機嫌なドラゴンの鼻面で愉快なステップをする道化を演じたハーフリングは演出としてドラゴンに喰われても仕方がないが、酒場のドワーフから呑みかけのジョッキを奪った程度で神の制裁がおちるのは合理的ではない)
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まとめると
(1)キャラクターと状況が準備される。
(2)DM(またはGMなど)が課題や挑戦を用意する。
(3)用意された課題や挑戦をプレイヤーがキャラクターの立場で解決する。
これがTRPGの本質なのだと定義できる。

TRPGの楽しみを広げる要素とは?
TRPGの本質とDungeons&Dragons(R)を比較し、Dungeons&Dragons(R)にだけあるものは、Dungeons&Dragons(R)というゲームに追加された楽しさである。また共通する部分でDungeons&Dragons(R)が採用している方法は可能性のひとつである。これは切り分けて考える必要がある。
「20面、12面、10面、8面、6面、4面」のダイスを組み合わせランダム要素を結果を求めるのは共通する要素。こういった要素はどのようなルールに置き換えても成立する。システムの運用という部分だ。

ダンジョンを冒険するという状況と地下に眠るドラゴンの秘宝の存在は冒険の目的で必要な要素、しかしこのドラゴンの過去の所業や秘宝を作成したエルフの大魔導師との因縁や世界の歴史はプレイヤーたちの動機を強め世界観を膨らませるが、TRPGを構成する必要な要素ではない。つまりTRPGを軸により良い遊びにするための工夫なのだ。これらの要素の追加には注意が必要だ。その要素がTRPGの本質にどう関わるかという点が課題となる。世界観の運用が過ぎてプレイヤーに判断させない状況になっていないか、DM(またはGMなど)の独り語りで完結してしまう失敗などが多いパターンだ。

TRPGの本質に関わる要素は可能性を追求することが楽しみ最大化になり、TRPGの本質以外の要素はプレイヤーの判断基準をどのように残すかを配慮し提案することが方向性を広げることになるのだ。個人の戦い、軍勢の戦い、国家同士の戦いの判断では、与える情報も制約も大きく変わる。制約がかわれば可能性もまた広がり増えていくのだ。
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