mixiユーザー(id:8412528)

2014年11月26日22:41

255 view

クリスチャンの仕事20

前回「クリスチャンの仕事19」の動画、私自身の悔い改めと伝道の動機づけとしては良いものだったが、正直なところ、内容的には私には不可解に思えるところもある。キリスト教の福音の大原則は、「信仰義認」といって、行いではなく信仰による義である。平たく言えば「正しい行いによって救われるのではなく、救い主イェスさまを信じることによって救われる」というのがとても大事なところなのだ。聖書の中でパウロは次のように語っている。少々長いが…

 よく聞いてください。このパウロがあなたがたに言います。もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって、何の益もないのです。割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行なう義務があります。律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。私は主にあって、あなたがたが少しも違った考えを持っていないと確信しています。しかし、あなたがたをかき乱す者は、だれであろうと、さばきを受けるのです。兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう。それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。あなたがたをかき乱す者どもは、いっそのこと切り取ってしまうほうがよいのです。(以上聖書より抜粋)

 やや難解だが、要するに「行いではなく信仰だ」と言っている。しかし前回の動画を見ていると、イェスさまを信じていても、行いが良くなければ地獄に落ちてしまうのかと思ってしまう。これはキリスト教信仰の根幹にかかわることである。次回は別の動画を紹介したい。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する