そういえばDTM三昧してますけど、今年の目標アナキズムを研究します。ってのを夏以降ぜんぜんやってこなかったのですが、まー来年もやってると思います。
で、赤旗の共産党も、ぜんぜん共産主義に思えない人が結構いて、おいおい、どうなんだ。と思うので(別に私共産主義がいいのかどうかわからんけど、国家ってもんが生理的にもう大嫌いだし、国際的に物事を捉えないと、だめな時代に日本万歳言えるかボケと思っていますから)
で、ふと思ったんだけど、赤旗新聞ってあるけど、黒旗新聞てないのか。と思って探したら、こういうリンクにヒットした。読んでないけどメモっておこう。
http://members3.jcom.home.ne.jp/anarchism/index.html
ヒットしたのはここ。
http://members3.jcom.home.ne.jp/anarchism/anarchism-news-kurohata.html
あと、関係ないけど、
『都市に生を送る。それだけで収奪者とならざるをえないわれわれは何度でも「運動する私」「発言する私」のおごりたかぶりを確認し、修正しなければならない。』
http://mukofungoj.sanpal.co.jp/memorigilo/3510
農山漁村と都市における(アナキズムの)分裂
都市の包囲解体をめざした農村青年社の主張はそのかぎりにおいて正しかったと思う。明治政府が強力におしすすめた国内植民地化運動の対象として農村はあったからだ。植民地主義は外部だけでなく内部にも向かう。近代国家の内部もまたさまざまな人間の集団によって構成されており、勝者集団が敗者集団に対する征服を反復し続けるのは必然である。つくられた「東北」や「南方」は国内植民地とされることで成立したが、それは国民国家成立の要件である。インターナショナリズムの殲滅として内と外の植民地主義がはかられるのである。
農青の既存アナキズム運動批判は運動の都市中心主義や労働運動偏重への批判にとどまらない。ほんの数人あつまっただけですぐに機関紙誌を発行して運動きどりの「結成主義」や、そうした自称革命的サークルに結集することで自らの存在意義を確認し充足する「実在主義」、それらとうらはらの待機主義への批判も、運動が目的化した惰性の人々へ反省をせまるものだった。こうした農青の批判が黒色青年連盟などから激しい反発をまねいたのも、それだけ黒連の運動(の一部)が「ひとかどのなにか」と自らを幻視して慰める自己充足の閉塞のなかにあったことの証左といえるだろう。
だが農青にしても、都市在住の「指導者」たちにかぎっていえば、資金獲得のためとしてショボい略奪(のまねごと)しかできなかったし、またそうした「活動」を革命的と粉飾することで自己の矮小さの直視を避けた。在村の同志たちが窮乏する農村経済のなかで活路をえようと必死になって動いていた一方で、都市在住の活動者たちが「運動する私」に耽溺する側面があったことは否定しがたい。
戦後のアナキストにしても基本的にはイストたるおのれだけが恃みであっただろう。しかしほんとうはよるべき自己などありはしないのである。あるのは個々の「現場」でへばりつくようにして闘う実践への自己投企と、そこでうまれる交雑の記憶だけである。それも個々の人間が死ねば分解しやがて闇へと返る。
↑こんな時代ってあったんですか?
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