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2014年10月26日23:11

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時間消費型高度成長社会の提案

今朝の読売新聞第一面で山崎正和と言う人が三冊の本を引用して、一切の成長を断念した「定常型社会」を提唱していました。
・広井良典「定常型社会―新しい豊かさの構想」
・岸田一隆「3つの循環と文明論の科学」
・水野和男「資本主義の終焉と歴史の危機」

いつまでも成長を続けられないことは誰もが解っていながら、経済界はもちろん学者もジャーナリズムも真剣でないと、山崎さんは嘆いていました。
私も全く同感ですが、「成長断念」とか「定常社会」とか「脱成長」とかはネーミング、キャッチがいかにも暗くて希望がなくて良くないですね。
私の提案は「時間消費型高度成長社会」をめざそう!が希望があっていいと思いますがどうでしょう?

私等が創った洗濯機、掃除機、冷蔵庫、電子レンジ等は家事を効率化したし、新幹線、パソコン、携帯電話等はビジネスを大幅に効率化して膨大な時間を生み出したのです。今思えば、我々が作った電子機器のほとんどは時間を産み出す道具であったと言えます。
「富とは欲望を満たすすべてのもの」(トフラー)だから、お金や宝石と同じく時間も富です。我々は膨大な時間=富を生み出したはずです。それなのに幸福感に乏しいのはなぜか?

それは富を消費して欲望を満たして始めて幸せ感が得られるのに、我々は小判を貯めるように時間を溜め込むばかりで消費していないからではないでしょうか?小判は溜め込むだけでも見ばえがするし実感があって所有欲が満たされるけれど、時間は溜め込むだけでは何も見えなく実感がなくて欲望は満たされないです。では一体どこに時間は溜まっているのでしょう。それは家庭や社会インフラに溜まっているのです。便利な家電製品でいっぱいの家庭や社会インフラの整った現代ではつい50年前と較べてみても圧倒的に短時間で作業は終わります。何時でも取りだせる膨大な時間が溜まっているはずです。溜まった時間を消費して欲望を満たせば幸福感が得られるはずです。

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