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2014年10月26日03:25

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「坂の上の雲」−「私」の読後感想



「坂の上の雲」司馬遼太郎 文春文庫 (八)



 「私」の読後感想



「坂の上の雲」は通読したのではあるが、ただ「感想」とするのではなく氏の「反戦論」としても立ててみたいので、その意味では「私なりの批評」もしてみたいので、「あとがき抜粋」を先に述べることとした。

 この書は明治時代・日露戦争を「軍事的観点」から述べられ、また「ドラマ・人物描写」でもあるのではあるが、「欠落している視点」も少なからずあるのでその点を明記してみたい。



明治時代は、江戸時代末期に来航した「黒船」による砲艦外交・不平等条約が契機となり、日本は明治維新として帝国主義の時代へと突入した。

 産業革命後の西洋は当時近代兵器を駆使してアジア・アフリカの植民地化を開始していた。我が日本国もその「態度如何」により、白人支配を甘受せねばならぬ危機にあった。

 その事は日本の近代化が遅れれば他のアジア・アフリカ諸国と同様に、、西洋列強の武力による強権支配を受けねばならないという事だ。

 近代的「自由」に気づいた草莽の志士たちが、とりわけ薩長の志士たちが中心となり幕藩体制を覆し明治新政府をつくり「近代的軍隊」を編成して、西洋の「武力に対抗する武力」を持つことは、「日本の独立性」を確保するための必然的な措置だったとも考えられる。



  この時「自由民権運動」などもあったが「帝国議会」はそれらの声を無視した。「声を汲み上げる余裕が無かった」といえばそれまでだが、この時、議会が庶民に開放されてあれば、「民主的・民主主義的」であれば、また日本の歩んだ歴史も違ったものになっていただろう。



 よって日露戦争は、「帝国主義間戦争」であり、よって方法はより強力な「軍隊・軍事力」を保持することであり、「軍事的暴力」による相手国への自国の政策の貫徹である。

 「無理やりの近代化」に邁進し、成功した日本は独立を確保したまま「西洋列強」の模倣を始めた。よって明治政府が「帝国主義体制」をとることも、当時としては無理からぬことでもあると考える。、

 時代は世を挙げて「帝国主義の時代」であるのだから、どちらの国も「当時最新兵器」で他国・未開国を制圧することとなるし、事実ロシアはそのものとして行動を開始した。

 当時の日本としては、日本人としては、これを「国民戦争」として「ロシア軍の撃滅」望んだとしても無理のない事と、「私」も思う。



 しかしながらそれは日本陸軍にとっては「中国の大地の上」であり、また先の日清戦争による勝利の「既得権益」もあり、また「帝国主義」は軍国主義・植民地主義も、同時に内包するものである。

 そしてこの戦争は、中国の大地の上で、この二国が「植民地化」しようとしていて「衝突」したのであり、一方的な「ロシアによる「攻撃」でもなかったと「私」は思っている。但し「ロシアが勝利したなら」ロシアは日本に代わって中国支配に乗り出しただろう。

 しかしながらそのような「問題の種」は新国家・日本の側にもあり、氏の言うところの「被害者意識」の側から見れば「二度と経たくない制度」の内にあれば、やはり「これほど楽天的な時代はない」とされるところの国民は「未熟」であったと考えるしかない。そしてそのように氏が「楽天的」とされるのは、氏の「当時国民を見る眼」の優しさなのだと想う。

 けれども、見落としてはならないのは「中国の大地・植民地をめぐって争う」ことは「中国の人々」にとっては「大迷惑」なことでしかない。事実、後に満州事変・満州国樹立・日中戦争・太平洋戦争への過程を、この帝国主義国家は巡ることとなる。そして大空襲・二発の原爆すら体験することとなる。そして、ようやく「敗戦」を迎えた。



「神国日本・八紘一宇・大東亜共栄圏」の発想にあるのは帝国主義の理念であり、戦時スローガンとしては「ABCD包囲網 → 狭い日本にゃ住み飽きた・王道楽土 → 進め一億火の玉だ」そして 「万歳突撃→ 一億玉砕」へと向かう。 この結果、「大空襲 → 二発の原爆 → 敗戦」となる。 

 これらの事が「亡国の論理」であることに気づくのに、どれだけ多大の犠牲があったのだろうか。

 日本軍人の「異国の丘・海外」に「骨を埋めた…」ことも、「満蒙開拓団」のみなさんの死と苦労も「帝国主義政策」の 軍部の膨張作の結果であるだろう。



 これらの結果、「ポツダム憲法・憲法九条」と「不戦の誓い」となるのだが、せっかくの「頂き物」を、わざわざ日本国自身で「返上する」ことも、ないのではないか?!
 


 帝国主義は、その意志の下に軍事的な「植民地・人々の隷属」を伴っている。よって「私」などは「狂躁の昭和期」は、やはり明治時代に予定されていたのだと見る。

 尚且つ、「帝国主義軍隊」は兵士たちを消耗品扱いする。兵士にすれば「たまったもんじゃない」 しかし突撃してゆくのは彼らが兵士として「国民であろうとした」事の証明であり、当時・為政者はその純朴で未熟な国民を「冨国強兵」のイデオロギーの下に蹂躙したのだともいえる。

 よって「氏」も、明治時代を「二度と経たくない制度」として、尚も「狂躁の昭和期」として軍国主義を批判している。

「私はなぜにこのような、辛いつとめをせにゃならぬ」これは「水木しげる・総員玉砕せよ!」の一文ではあるが、氏も似たような思いを出征中に感じておられる。よって「ノモンハンを描きたい」と考えておられた。残念ながらそれをみることはないのだが。



 およそ戦争は「荒廃・滅び」を予定し、平和が「繁栄」の基礎となるのだ。

 私たちは「坂の上の雲」を作品として読むのなら、学ぶのなら、ただこれを「戴く」だけでなく、「氏」と同じく、其の「雲」を望むべく「坂」道と立ち位置を確かめ、

 「世界中の人々と共に」

 その雲を目指しながら、その「坂」道を歩んで行くべきなのだと想う。

  

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