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2014年10月26日00:02

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文化と生業は別個のもの

大阪市、文楽「補助金」全廃へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3112225

僕は鍼灸師として大学を卒業し、ある師匠の下で10年間修業をした。
そして独立開業して、今年で7年目になる。

僕の師匠にあたる院長は、元を辿れば江戸時代にまで遡る伝統的な流派を受け継ぐ先生で、僕はその先生の下でその流派を学ばさせていただき、今がある。
まだまだ未熟であるものの、今は学んだ技術を使わさせていただいて、何とか生計を立てている。

確かに僕はその流派を院長から受け継いだが、それは何も鍼灸の一文化として、後世に残していかなければならないと思って修業した訳ではない。
あくまで、その流派を使って自分の仕事の糧とし、生業とする為に修業をしたに過ぎない。

僕の後輩にも、僕と同じように修業した後、独立開業したヤツがいて、そいつのほうは僕よりも、もっと大変だ。
仕事で得た収入では、テナントの家賃を払うのが精一杯で、生活は、奥さんが共働きをして支えている。

彼が伝統的な鍼灸の流派を受け継いでいたとしても、国や市は彼の生活を援助してくれない。
文化としての鍼灸にどのような価値があるか知らないが、もし彼がこの道で生活がままなくなれば、彼は生業としての鍼灸の道をリタイヤせざるを得ないだろう。

彼を救う道はただ一つ。
彼自身が何とかして、鍼灸の道を生業として成立させるしかないのだ。

だが彼もまた、自分の受け継いだモノを伝統だの文化だの残していかなければならないだのと言うつもりはないだろう。
彼がわざわざ安定した職から脱サラし、この世界に入ったのは、ただこの鍼灸師の仕事が好きで、この仕事を自分の生業にしたかった。
ただそれだけのことだ。

文化と生業は別個のもの。
分けて考えなければならない。

文楽は、確かに素晴らしい伝統芸能であり、後世に伝えるべき文化の一つなんだろう。

だが、だからといって、その文楽が生業として成立しないのなら、それは生業にしてはいけないのではないか。
本当に残すべき文化ならば、生業でなくとも、文楽を一つの伝統として残す人は出てくるし、生業とは別のところで残るのではないか。

今日、僕の実家のある亀岡では祭があった。
祭では、鉾の上で鉦や笛、太鼓を用いてお囃子が奏でられる。
その伝統的な祭の形式は、地元の保存会のみなさんがお金を出し合って鉾を管理し、仕事の合間を縫ってお囃子の指導をし、伝統を受け継いでいく。
そうやって、1300年もの長い歴史を数えるほどになっている。

これもまた文化であり伝統であるが、決して生業ではない。

文楽もまた、残すべきと考える人が生業とは別のところで伝統として受け継ぐのなら、そうした形で残るのではないか。
もし、生業としたいなら、それは本来は文化とは別個のところで、文楽協会が何とかするしかない。

幸い、ここのつぶやきでは、文楽に対する理解のある人が多く見られる。
そうした人たちがお金を出し合い、観客として盛り立てれば、あるいは文楽は生業として成り立つかも知れない。
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