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2014年10月20日23:05

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慶應義塾大学医学部管弦楽団 第38回定期演奏会

年々成長を続ける慶応医管。
今回のメインは『悲愴』。
問題提起を孕みつつ、慶応医管の歴史に残る演奏となった。

☆慶應義塾大学医学部管弦楽団 第38回定期演奏会
■2014年10月18日(土) 開場17:30 開演18:00
■川口リリア 大ホール
■曲目
♪A.Borodin/ 歌劇「イーゴリ公」序曲
♪J.Sibelius/ 交響詩「フィンランディア」
♪P.I.Tchaikovsky / 交響曲第6番「悲愴」
■指揮:佐藤雄一

久しぶりの佐藤雄一指揮の演奏。
それも『悲愴』とあれば、聴く方にも力が入る。

会場に向かう前、根津の床屋で散髪の予定だった。
しかし、千代田線で『悲愴』のことを夢中で考えていたら、国会議事堂前まで乗り越してしまった。
根津の床屋に行くのが遅れたので、店は混んでいて1時間待ちとなった。
それで不忍池の周りを散歩した。
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京浜東北線で川口に向かう途中、東京駅で人身事故が発生した。
16:15、赤羽で電車は停まった。運転再開が16:40と知らされた。
十分間に合う時間だったが、早く着きたい私は駅を飛び出し、代替手段を探して右往左往した。
バスに乗るか、タクシーを拾うか?
その間に京浜東北線は予定より早く運転を再開した。
私は、結局一本遅い電車で川口に到着した。

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夕暮れ迫る川口リリア。
何のことはない。列の先頭から6人目だった。

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最初この位置で、後半は一列前に移動した。

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♪A.Borodin/ 歌劇「イーゴリ公」序曲
前半プログラムは、いつになく非常に気楽に聴いた。
今回のプログラムは「悲愴シフト」で、前半は軽い曲で2曲とも前座と思っていたからである。
しかし、この「イーゴリ公」序曲の演奏は非常に良かった。
アンサンブルよく丁寧に仕上がっていて、小気味よかった。
序曲としてはかなり長い曲だが、中だるみせず、終始生き生きしていた。
私が、「イーゴリ公」の主な旋律に親しんでいたこともあり、大いに楽しく聴いた。

♪J.Sibelius/ 交響詩「フィンランディア」
これは、佐藤氏の指揮でたぶん4回目くらいの曲。
これまでで一番良かったように思う。
深刻さは「悲愴」にとっておいて、あまり暗くならず、外向きの元気さでまとめた演奏。
一緒に聴いていた妻は、数年前の同団の同曲の演奏と比べて、奏者の一体感や真剣みさが増し、皆で豊かに旋律を歌いあげていることに大いに感心していた。
佐藤氏の指揮も、奏者のエネルギーを発散させるように思い切り振っていて、エンターテイメントな演奏となっていた。

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休憩に入り、マイミクのナンナンさんと会う。
2012年の定演で、同じ会場で交響詩「十月革命」の爆演や、チャイコの5番を一緒に聴いている。それ以来の再会だ。
佐藤氏の音楽に関心を持って聴きに来てくれるのが本当にありがたい。
ナンナンさんと、「死にたくなる」ほどの「悲愴」への期待を話し合う。
「しかし、佐藤さんはこちらの予想を裏切る人ですからね。」
と、私が言ったことが、その後どうやら的中したのだった。

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♪P.I.Tchaikovsky / 交響曲第6番「悲愴」

♪第1楽章
序奏
しっかりニュアンスを込めて始まる。
神がかり的な程ではないが、努力の跡が十分感じられる。
ファゴットのソロが、実によく健闘する。

主題提示部
これが意外に遅い。
しかも、燃えるような感じでなく、活力を殺して沈んだ感じで、それがかえってヒタヒタと不気味さを醸し出す。
アンサンブルは、縦の線が合っているのか、合っていないのか分からないような「表現」で、(ずっとこの曲にかけて練習してきたのにコレか?)
と、一瞬思ったのも事実だが、その後の展開から察するに、おそらく「表現」だったのだろう。
それが、金管が入るあたりから、突如としてテンポも速くなり、猛烈に激しいトゥッティとなる。

これだ。私の好みとも少し違うが、これが佐藤氏のチャイコフスキーなのだ。
何度も聴いたチャイ5でも、当惑するほどの急速なアッチェレランドがあった。
しかし、褒むべきは医管の演奏で、その急峻な変化によく対応している。
2年前のチャイ5の時よりも、ずっとよく佐藤氏の演奏について行っている。
突如としてカタストロフが訪れるのが極めて非日常的で、あまりの感情の激しさというか、通常の感情の流れを断ち切られたショックがトラウマになる感じだ。

そして第2主題。
これまでの慶応医管の演奏を思い起こすと、本当に表現のレベルが上がっている。
しかしそれは、心地よい感傷の波に流され、クラシックファンが随喜の涙を流すような表現ではない。
ある面、感傷を断ち切っているので、美しく表情もあるが、温度の低い表現だ。

そして、激しさの極みともいうべき展開部から、第2主題の再現部とコーダ。
詳細まで思い出すことはできないが、医管が非常に好演していたことは確かだ。

♪第2楽章
5拍子のワルツ。
今年はとにかく弦楽セクション、木管、金管、打楽器と、どのセクションも非常によく頑張っている。
中間部分が、非常にテンションを下げた表現で、思わず頭がボンヤリしかかったが、それが逆説的に印象に残った。
中間部のテンションの低さが、後半を引き立てて、異なった印象で聴かせた。

♪第3楽章
これは、佐藤氏と医管による演奏の中でも、歴史に残る名演だったと思う。
冒頭は、かなり遅めのテンポで始まった。
これは、医管の奏者の演奏技術に配慮したためであろう。
しかし、その後ラストに至るまでの展開、演奏は圧巻のものがあった。
この楽章は、だいたいどんな演奏でも元気にやるのが普通だ。
しかし、医管の演奏は、若さに任せた八方破れの爆発に決してならなかった。
峻厳な格調高さとでもいうべき抑制の効いた表情。
決して雑にならない緊張感。
心ひとつにしたアンサンブルを維持したまま、最後の最後まで盛り上がり続けたのだ。
これは、かつてハルモニアOBオーケストラが、チャイ5の終楽章で聴かせた、八方破れな大爆演の快挙をも凌ぐ、素晴らしい演奏だった。
青年たちの演奏に喝を入れ、ますますエネルギーを引き出していく佐藤氏の指揮ぶりは、これまで見たどの指揮よりも激しく、英雄的で、鬼神か、音楽の魔神の如きであった!
この指揮と演奏に触れたら、誰もが佐藤氏の凄さを認めないわけにはいかなかっただろう。

♪第4楽章
終演後、ナンナンさんに会ったとき、表情は微妙だった。
おそらく、期待していたものと違ったのだろう。
(注:ナンナンさんの実際の思いについては下のコメントをご覧ください。)
涙も枯れるほどの悲しみ、救いのない絶望感に打ちひしがれる演奏。
そういう演奏がもたらすカタルシスを求めたのだとしたら、少し違っていた。
泣ける演奏では、なかった。

だが、間違いなく、素晴らしい演奏だった。
学生の心は一つに合わさり、オケの音は、どの楽章よりもしっかり出ていた。
終始、集中を切らさず、佐藤氏の指揮にピタリと合わせ、表情は豊かについていた。
センチメンタルな感傷性は、きっぱりと切り捨てていた。
だから、悲劇的な曲想であっても、ナヨナヨすることがなく、意志の力に貫かれていた。
ただの悲しみとも、絶望とも違う、何かもっと素晴らしいものが表現されていたと思う。

強いて言えば、感傷を排除するのはよいとして、感情そのものはどうだったのか?
今、時間が経ってから私の心に残っているのは、ホットな感慨である。
しかし、演奏は、かつてドメーヌ・ミュジカルの「浄夜」が評されたような、「冷めた溶岩」のような演奏であったかもしれない。

同行した妻は、これまで聴いた医管の演奏の中で、一番感動して、大変満足していた。
曲に対する先入観を持たずに聴いた人の方が、感動が大きかったかもしれない。

「悲愴」の後に、余分なものは不要、と、アンコールはなかった。

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終演後、クライネさんに誘われて、佐藤氏の楽屋を訪れた。
まだ体から湯気が出ている佐藤氏から、いろいろと興味深い話を伺った。
からっぽの学生たちに、音楽の情熱を吹き込んでいった佐藤氏の苦労がしのばれた。

その中に、「いかにも学生のやるような『悲愴』にはしたくなかった」という言葉があった。
それは、感傷べたべたの甘ったるい「悲愴」のことであったろう。
確かに、甘さを排除した演奏であった。

だが、悲劇的な感情を絞り出すような演奏を避けたのは、技術不足な学生には、それが不可能だったからだろうか?
それとも、峻厳な抑制こそが、佐藤氏自身の感情表現の自然なありようだったからだろうか?
あるいは、私の曲に対する先入観が強すぎるのだろうか?
それは分からない。

「医管は、最近やっと、私好みの音が、少し出せるようになってきた」
と、佐藤氏は語った。
もう既に、十分佐藤氏の音になっているかと思ったが、違うのだ。
佐藤氏の音楽の全貌は、まだまだ計り知れない。

楽屋には、歴代のコンマスたちがあいさつに訪れた。
学生たちと佐藤氏の、羨ましくなるような深い絆を感じた。
音楽を通して結びついた、学生たちと佐藤氏の絆の連鎖は、年末のブル8の演奏に必ずや結実するであろう。

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