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2014年09月30日19:21

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裁判員に参加するということ

■裁判員も「18歳以上」の方向=選挙権年齢引き下げで―与野党PT
(時事通信社 - 09月30日 13:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3074922

子供の頃、親父によく言われたコトがある。

”何をするにしても、自分で責任を取れないような事は絶対にするなよ。”

オトナになるということは、詰まるところ、そういうことだ。
自分で自分のやったことに対して責任が取れるということ。

それがオトナになるということ。

日本では一応、オトナとコドモの境界線が引かれている。
それが20歳だ。

だが、本当に僕たちは20歳になれば、親に迷惑を掛けることなく、自分で自分の生活や行動の責任を取ることができただろうか。
僕が20歳の頃、僕はまだ大学3回生だった。
恥ずかしながら、学費や食費、生活にかかる費用の殆どを親に面倒見てもらっていたし、健康保険だって親の扶養に入っていた。
国民年金だって、学生の間は免除してもらっていた。

周りは僕を20歳のオトナと見ていたかどうかは知らないが、僕自身、自分がオトナとして責任の取れる人間であったかと言われると、そんなことはある筈もなかった。

僕が自分をオトナとして社会に参加していると自覚したのは、大学を卒業し、就職をして一人暮らしをしてからだ。
ようやく、自分の生活を自分で面倒見ることができ、社会に対する責任が持てるようになった。

選挙権は別として、裁判員については、思うに社会に責任が取れる年齢になってからでないとオカシイんじゃないか、と感じる。

況してや、少年法で守られている18歳からだなんて、システムとして余りに歪すぎる。

一方で少年法で守られている少年が、大人と同じく法廷で人を裁く。
社会的に責任が取れない人間が、社会的に人を裁くのだ。
こんな歪なことがあるだろうか。

裁判員に参加するというのは、それなりに社会的な責任を負うということだ。
自分の生活や行動に対する責任が取れない人、社会に対する責任を持てない人は、やはり裁判員なんてするべきでない。

そうでないと、裁判員裁判はどんどん意味ないものに成り下がっていく。
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