親が吸うと中学生の喫煙率2倍
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僕の父親は、僕が幼い頃からヘビースモーカーだった。
特に仕事でイライラした時などは、5、6本タバコをチェーンスモークするくらい酷かったのだが、幼い頃から目の前でタバコを吸っている父親の姿を見ていた僕としては、タバコを吸うことがカッコイイだなんて思ったことはなかった。
だから、僕も弟も妹もタバコは一切吸わない。
むしろ、弟も妹も嫌煙家だ。
ただ、僕は嫌煙家かと言われると、そうでもない。
僕自身タバコは吸わないのだが、付き合う女性がスモーカーであっても、全然気にならない。
これはやはり、幼い時から父親が吸うタバコの煙を間接的吸っていたせいだろうか。
タバコの煙のニオイも、そんなに嫌なニオイでもないのだ。
ただ僕がタバコを吸わなかったのは、タバコを吸うという行為がそんなにカッコイイこととは思わなかったのと、持病の喘息があって、しんどい思いをしてまでタバコを吸いたいとも思わなかったからだろう。
思うにタバコなんてのは、中高生が成長していく過程の通過儀礼のようなもので、その時にタバコに手を出した人が止められずにオトナになってスモーカーになっていくのだ。
そこに親の影響があるのかと云われると、多少はあるのかも知れない。
家庭の中にタバコが当たり前にある家とない家とでは、タバコに対する垣根の高さや罪悪感も違うだろうから。
しかし、その理由の大半は、タバコがハタチからの嗜好品であるの対し、中高生がそれを吸うことの意味にあると思う。
そこに昔の不良は、ワルを見出し、周りはカッコ良さを見出した。
つまり、中高生の一部にとっては、オトナになる過程での通過儀礼というわけだ。
だから大学生の頃、僕の周りでハタチを越えて、初めてタバコを吸ったスモーカーは、「なんで、ハタチ越えてから、わざわざタバコを吸ったんだ。」と笑われたもんだった。
これは、ハタチを越えてしまえば、タバコに通過儀礼の意味はなくなる。
それをわざわざカッコ良いとばかりにハタチを越えて吸い始めるのは、カッコ悪いことを意味しているということ。
つまりタバコは、ハタチを過ぎてからの物であると同時に、ハタチを過ぎてから初めて吸えばカッコ悪い物であるというになる。
しかも最近は、そのタバコに対するカッコ良さというものも、昔と比べると随分変わりつつある。
そうなれば、今の中高生にとって、タバコは通過儀礼としての意味合いもなくなりつつあるということになる。
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