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2014年09月10日10:41

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人としての質

全盲女子生徒 足を蹴られケガ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3046029

先日、嫁と日本人の素晴らしさについて話をしていた。

その話の中で、日本語には、「すみません。」があるから素晴らしいと嫁が言った。
どういうことなんだろうと、僕が問うと、

例えば、前から人が歩いてきて、その人からぶつかってこられたとする。
ワザとではないのだが、思わず肩と肩がぶつかってしまう、そんな時。

そんな時、自分がぶつかったワケではなかったとしても、その人に対して

「すみません。」

と言う。

すると相手も同じく、「すみません。」

このやりとりが素晴らしいんだと言うのだ。

成る程。
たとえ自分がぶつかったわけではなかったとしても、”すみません”と言える、その気持ち。
本来は、自分は悪くないんだから、謝罪なんてする必要なんてない。
悪くないのに謝るなんて愚かなことだ。

そうならないのが、日本人の美徳だと、嫁は言いたいのだろう。

それはつまり、相手を尊重する気持ち。

先日の盲導犬の事件でもそうだが、こういった記事を読むと、最近の日本の中に、そういった相手を尊重する気持ちというのが、薄れてきているんじゃないか、と思ってしまう。

この女子生徒を蹴った人間ばかりでない。
白杖に引っかかり、女子生徒に対して暴言を吐く人間もそう。
相手を尊重する気持ちがないから、自己中心的な気持ちでいるから、相手の立場に立つという思い遣りが持てなくなる。

白杖を突く人が歩く点字ブロック。
それはその人にとっては、唯一の道標。
前から白杖を突いた人が歩いてきたら、その人の為に道を譲る。
思い遣りの気持ちがあれば、そんなことは当たり前のことだ。

もし、それでぶつかったとしても、白杖に引っかかったとしても、”すみません”の一言で済む話だ。

何故、そうならないのか。
きっと、それは相手を尊重する気持ちがないから。

だから、白杖に引っかかったのは相手が悪いからだ、自分は悪くない、とこうなる。
悪くないんだから、自分が謝る必要はない、むしろ、相手が自分に謝るのが当たり前。

自分のことばかりだから、相手の立場が見えなくなる。
だから、暴言も吐けるし、弱者に対して足蹴にもできる。

これは倫理観だけでは済まされない問題だ。
もっと根源的なもの。
そう、人としての質の問題だ。

相手を尊重する気持ちがない人は、自分の人としての質を貶めていると僕は思う。


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