中山美穂、離婚の真相語る「好きな人に出会った」 別れる条件が「親権」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=3017001
よくmixiの既婚者の女性のプロフィールに、「出会いは求めていません。」と書いてあることがある。
僕は、これは正しいと思う。
出会いというのは、こちらから求めるものであって、やって来るものではないのだ。
つまり、好きな人に出会ったというのは、出会いを求めた結果であるということが言える。
もし、異性が寄ってきたとしても、こちらが出会いを求めていなければ、それは出会いにならない。
いや出会いを求めていなければ、異性も寄ってこないんじゃないだろうか。
寄ってくる異性は出会いを求めている。
だから寄ってくる。
その異性に対して、自分が出会いを求めていれば、それは出会いになる。
その異性を好きになれば、その出会いは、好きな人との出会いになる。
出会いとは、そういうものだ。
僕は、恋愛というのは、そうしたココロのスイッチの切り替えができるものだと思っている。
僕は、既婚者で小さな子供もいる。
守るべき家族がある。
だから、恋愛に関するココロのスイッチは、いつもオフにしている。
何故なら、今の幸せな家庭を壊したくないし、嫁の悲しむ顔を見たくないから。
これが愛だと言うなら、もしかしたらそうなのかも知れない。
ココロのスイッチを入れること。
これは、家族に対する裏切りだし、嫁に対する裏切りだと思う。
人は出会いを求めるからこそ、誰かを好きになるのだし、それは既婚者であろうが、未婚者であろうが一緒だ。
もし、中山美穂さんが好きな人に出会い、その所為で離婚されたのだとしたら、彼女は好きな人に出会ってしまったのではない。
自ら出会いを求めて、そして好きな人に出会ったのだ。
もし、守るべき家族があって、大切な配偶者や子供がいるなら、そのココロのスイッチはオフにしておくべきだったろう。
そうしておけば、そんな出会いはなかった。
つまり、自分から出会いを求めに行ったのだ。
それは、夫や子供に対する裏切りであると僕は思う。
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