mixiユーザー(id:47361257)

2014年08月04日18:32

91 view

なんでも望みが叶う世の中、それはきっと素晴らしい世界なんだろうか。

代理出産でダウン症の赤ちゃん、依頼夫婦が引き取り拒否
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=2995131

世の中、本当に間違っていると思う。

叶わない望みというのはある。
必死に努力しても、自分の行きたい進路に進めない人もいるし、なりたい仕事に就けない人もいる。
いや、殆どの人がその叶わない望みの中、なんとか妥協して、妥協した中で自分の幸せを見つけ、毎日を暮らしているのではないか。

なんでも望みが叶う世の中なら、それはきっと素晴らしい世界なんだろうか。
僕はそうは思わない。
そんな世の中は、きっとささやかな幸せを幸せと感じない世界だ。

僕たち夫婦には2人の息子がいる。
だから、僕みたい人間が代理出産について、どうこう言える立場にはないのかも知れないが、それでも敢えて言わせてもらう。

代理出産は間違っている。

すべての不妊治療を否定するわけではない。
不妊で悩んでおられる方にとって、どんな形であれ、愛する夫婦との間に子供を授かりたい、という気持ちは理解できる。

でも、その線引きはどこかでハッキリ引いておかなければならない。

その線引きはどこか。
それは、きっと生まれ来る赤ちゃんの立場に立って線引きすべきだろうと僕は思う。

生まれ来る赤ちゃんのことを考えた場合、そしてその子が自分の出自を知る立場に立って考えた場合、不妊治療の線引きは、愛する夫婦の精子と卵子でもって、その母親の母胎から生まれてくる、というくらいまでで、僕は線引きすべきだと思うのだ。

過去に、このような主旨で日記を書いたところ、僕には子供がいるから、そんなことが言えるんだ。
親になろうと必死になって、その幸せを得ようと必死になっている夫婦に向かって、その言葉はあまりに配慮に欠けるのではないか。

とコメントで烈しく糾弾されたことがあった。

でも、僕はそれは違うと思う。

その考えこそが、あまりの親の勝手で、生まれくる子供に対する配慮が欠けているのだ。
親にも人格や感情があるように、生まれくる赤ちゃんだって人格や感情がある。
自分の幸せを考えるのは、親ばかりではない。
生まれくる赤ちゃんだって幸せを考える。

先ほどの糾弾は、親の幸せばかり。
それはそうだ。
赤ちゃんが欲しいというのは親の望みなのだから。
でも、生まれくる赤ちゃんの気持ちまでは、きっと考えも及ばないのだろう。

今回のケースは、それを如実に現したものだ。

世の中、本当に間違っていると思う。

赤ちゃんが欲しくて一生懸命になり、妊娠することの大変さ、そして赤ちゃんが生まれてくることの大変さはよく知っている筈なのに。
不妊治療を通じて、人の命の尊さは痛いほどよく知っている筈なのに。

一方でこうまでして、人の妊娠に関わりながら、一方で都合の悪い時は、中絶を認める。
これが人の命の尊さなんだろうか。

代理母とは言え、宗教上の理由とは言え、自分の置かれた立場でもって、それでも中絶を認めずに赤ちゃんを生んだ、この代理母のほうがよっぽど、命の尊さを知っている。
自分たちのしていることの罪深さをよく知っている。

僕の息子でもそうだが、誰しも妊娠した時、そのお腹の中の子供が、この世の中に生まれて出てくるまで、本当にその子が五体満足かどうかなんてわからない。
生まれてきて始めて、元気に泣くその声を聞いて、足や手の指の本数を数えて。
そして、そして。
僕たちは、子供が五体満足で生まれてきたことを喜び、嫁に神様に感謝する。

でも、そうでなかったとしても、生まれてきた子供の命の尊さに変わりはない。
その事実を受け止め、その中ででき得る幸せを見つけるだけのことだ。

赤ちゃんが欲しいからと、代理母を依頼し、その赤ちゃんが自分たちにとって都合が悪ければ中絶を依頼する。
そんな勝手な幸せがあるだろうか。
あまりに勝手過ぎる。

なんでも望みが叶う世の中。
それはきっと素晴らしい世界なんだろうか。

僕は代理母は間違っていると思う。

世の中、どこか間違っていると思う。

17 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する