mixiユーザー(id:6969053)

2014年08月03日22:16

6217 view

英国ロンドン ローリング・ストーンズゆかりの地

皆さん、こんばんは。毎日暑いですね。今日は岩手も35度の気温です。
今回の日記はリクエストがありまして、英国のロックバンド、
ザ・ローリング・ストーンズのゆかりの地を紹介します。
ヨーロッパ最大の観光都市でもあり、ストーンズを始め多くの
ロックバンド、アーティストを輩出したロンドン。

1962年ストーンズが結成されたばかりの頃、初期のリーダー、
ブライアン・ジョーンズが住んでいた場所がエディス・グローブ
ここにミック・ジャガー、キース・リチャーズが転がり込んできて
フラットでの3人の共同生活が始まります。この当時のストーンズの
収入はゼロで、ミックの奨学金、ミックや他のメンバーの家族が
持ち込んでくる食料で生き延びているという状態でした。
フォト フォト
ブライアン、キースのギターの練習場所でもあった、
ストーンズの原点ともいう場所ですね。ドアに102の番号があります。
またビートルズのメンバーも訪ねてきて将来の夢を語りあった
大事なスポットです。写真2枚共左側の部屋が住んでいた場所です。
102 Edith Grove

このエディス・グローブの近くにベース・ギターの
ビル・ワイマンがストーンズのオーディションを受けて
採用されたパプがあります。ここも初期の練習場所でした。
最初ビルは年齢が上だった為メンバーとしてはどうか?ということ
でしたがギターのアンプ、車を持っていたので採用されることに。
その場所がウェザビー・アームズ・パプです。
500 King's Road ,Wetherby Arms Pub
フォト  
そしてドラムのチャーリー・ワッツが良く通っていた
コーヒー・バーがあり、名前はトラウバドゥワー。
265 Old Brompton Road,The Troubadour
ミュージシャンのたまり場だったバーで、彼はここで
アレクシス・コーナーに出会い、彼の誘いでマーキー・クラブや
イーリング・クラブでドラムを叩くようになり、ストーンズに
加入することになりました。
フォト
アレクシス・コーナーはイギリスでブルーズを広めることに
大きな影響を与えており沢山のアーティストやバンドを
世に生み出す重要な役割を支えた緯人です。
このお店が無ければストーンズもなかったかも知れませんね。

アレクシス・コーナーが経営し、彼のバンド、
ブルース・インコーポレイテッドの演奏する場所になっていた
イーリング・クラブ。このクラブには大成功した音楽家が
集まり演奏したクラブです。ザ・フーのメンバーや
ブライアン・ジョーンズがチャーリーに会ったのも、
このクラブでロックの歴史でも最も重要なクラブと言われます。
階段を下りて、この黒いドアをあけると、そこがクラブでした。
そしてブライアン・ジョーンズにキースが出会ったのも、ここ。
ブライアンの弾くスライド・ギターにキースが驚いたそうです。
42A The Broadway,The Ealing Club
フォト フォト
フォト フォト

1962年7月ストーンズはマーキーでライブデビューしますが、
チャーリー・ワッツ、ビル・ワイマンが加わってのライブは
ロンドン西部のリッチモンド駅前にあるライブハウス、
ザ・クロウダディ・クラブで1963年2月のこと。
フォト フォト
フォト フォト
フォト フォト
最初は数人の客でしたが、ライブが評判を呼び、週を追うことに
数倍に増えてゆき評判を聞いてビートルズも見に来るように。
ライブハウス前の通りは人で溢れたそうだ。ここも大事な場所。
その後、ヤードバーズやキンクス、ロッド・スチュワート、
エルトン・ジョン、レッド・ツエッペリンが出演しました。
1Kew Road,Clawdaddy Club

ストーンズの初期のレコーディングが行なわれたのが
リージェント・サウンド・スタジオ。ノット・フェイド・アウェイ
他初期の名曲が収録された場所が、このスタジオ。
50周年記念ライブ時にはお祝いの50周年ポスターもありました。
4 Denmark Street,Regent Sound Studios
フォト フォト
フォト フォト
フォト
同じスタジオでもストーンズにとって大事だったスタジオが
オリンピック・スタジオ。ストーンズは曲のアイディアを練って
スタジオに入り曲を仕上げる手法を取っていました。
ジャンピン・ジャック・フラッシュもここで収録されました。
ルビー・チューズデイ、ベガーズ・バンケット、ブラウン・シュガー
など多くの名曲が、ここで録音されました。
 フォト
2009年スタジオは閉鎖され跡地となっております。
現地のストーンズ・ガイドツアー担当者からも
ストーンズにとって最も重要だったスタジオと紹介されました。
117 Church Road,Olympic Studios

初期のストーンズが成功を収め、エディス・グローブから
他のフラットに移ったあと、1967年に住んだ家がここ。
写真左から2番目の白い家で前の所有者はキース・リチャーズ。
フォト フォト
ミックの当時の恋人だったマリアンヌ・フェイスフル、
その後結婚したビアンカ・ジャガーとも住んでいた場所で
アルバム、レット・イット・ブリードのほとんどの曲や、
悪魔を憐れむ歌も、ここで作られております。
フォト フォト
因みにミックとマリアンヌがドラッグ所持で逮捕された
時もこの場所でした。1969年5月24日
48 Cheyne Walk

レット・イット・ブリードの最後を飾る無情の世界で
歌詞に登場するチェルシー・ドラッグストアがここ。
現在は残念ながらマクドナルドになっております。
49 King's Road
フォト フォト
76年英国公演のためコンサート会場になったのが
ここアールズコート。5月21日から27日まで1週間の
ライブが行われました。屋内では当時、ここがロンドンで
一番大きな会場で17000人を収容した会場。
フォト フォト
今回のゆかりの地は、スペースの都合上、沢山掲載できませんが
ストーンズのライブの原点となったザ・クラウダディ・クラブの
あるリッチモンドから歩いて十数分のところにミック・ジャガーが
2000年代後期まで暮らしていた家があります。
私も数回訪問したことがありますが(中には入っておりません)
花束などプレゼントを玄関に置いてきた事があります。
現地でも高級住宅街にある場所で、隣にはミックの両親が
住んでいました。すばらしい環境の場所でした。
フォト フォト
リッチモンドの駅              116 Richmond Hill
この家の右側に数軒、進むといい感じのパブがあります。
私もお店に入り時々ミック・ジャガーも来るのですか?と聞くと
「いいえ。来ることはないですよ。」と言われたのですが
後から聞いた話では、ミックお気に入りのパブだったそうです。

少しだけ紹介のつもりでしたが、かなり長くなりすみません。
ファンの方の英国訪問の際、参考になれば幸いです

関連日記
ストーンズの故郷 ダートフォード
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1896265991&owner_id=6969053
37 52

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2014年08月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31