タレントの声優起用は是か非か?
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ジブリと言うか「宮崎駿」の話で、声優と言っても「職業声優」に限定されてて
その上聞いた話の取り纏めからの推測でしかないのだけれども。
宮崎駿は「作られた声」が嫌いなのだと聞く。
職業声優に見られがちな「キャラクターに合わせて調整された声」の事なのだろうと思う。
要するに「人間が普通に発声して」「声を当てている人物が画面の中のキャラクターと合致した」
そういう「声」を求めているのだろうと思うのだ。
「役を演じている」のではなく「役そのものになった」声。
先日の神木隆之介のインタビュー記事にもあったのだが、彼は
「神木隆之介が演じていると観客が気付けないほどの役の演技」を目指しているのだそうだ。
それは「物語上の架空の人物」が「そこに実在している」ように観客が感じる事なのであろうと。
宮崎駿が自身の作品を「アニメーションと言う表現方法のドラマ」と位置付けているならば
その作中の「声」はキャラクターを実在化させるための要であるのだ。
そうであれば、むしろ職業声優の起用は「両者にとって不利益」でしかないのだ。
職業声優は今までも種々雑多なキャラクターの「声」を演技してきているだろうし
これから先、将来に渡っても様々なキャラクターを「声」で表現していくのだろうから
観客はどうしたって「同じ声というキャラクター同士の連想をしてしまう」のである。
それは言ってみれば「声」によって役者の演技が拘束されてしまうと言う事でもあるのだ。
池田秀一などはこの具体例として適任だろう。
彼は演じた「シャア・アズナブル」と言うキャラクター1人のために
以降の役は「それを要求される」と語っている。
本来それは「役者として」は死亡宣告に等しいのだ。
池田氏は開き直られたそうではあるが。
「ばらかもん」のキャスティングで子供のキャラクターに子役俳優が起用されているが
これも「リアル感を伴う子供の声」を演出上必要とした結果であろうと思えるのだ。
大人の声優が作った「子供の声」と、子供が自然なまま発生した「声」では
そこに乗っけられたセリフの臨場感が桁違いであるからなのだ。
まあ、間宮くるみの演技まで行くと名人芸の領域にはなると思うのではあるが。
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