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2014年08月02日18:41

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ウサギのこころ

■整然と供述、見えない心=精神鑑定視野に捜査―逮捕から1週間・高1女子殺害
(時事通信社 - 08月02日 16:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=2993525

少し思うところを綴ってみたい。

僕が通っていた大学は、解剖の授業があった。
その授業の中で、実際にウサギを使って解剖をする、という実習があったそうだ。

学生に実験用のウサギが割り当てられる。
学生は、そのウサギを持ち帰って、一週間、そのウサギを育てる。
そして、一週間後に、学校へそのウサギを持ってきて、自分が育てていたウサギを解剖するのだそうだ。

実は、この実習、僕が学生の頃には、すでになくなっていた。
だから、この話は、実際に実習に参加した先輩から聞いた話だ。

さすがに一週間ウサギを飼うと、ペットではないと解っていても、その実験用のウサギに対して、情が移るらしい。
そして、一週間後、いざ、そのウサギを解剖しようとしても、可哀想でなかなか解剖できないんだそうだ。

勿論、解剖すれば、そのウサギは死んでしまう。
一週間飼ったウサギを自分の手で殺めてしまう。
それはとても残酷なことだ。
でも、自分の後学の為に、その実習は必要なことで、その為に、可哀想だがウサギの命をいただくのだ。

例えば、実習の日にウサギを渡され、いきなり、そのウサギを解剖することだって、やろうと思えばできる。
しかし、それをしないで一週間手元で飼ったウサギを解剖するというのは、一体何の意味があるのだろう。

思うのは、そうすることで、解剖する動物に対する、命の尊さを身に沁みて感じるという意味があるのだろう。
自分の後学の為に犠牲になるウサギ。
その命をいただくウサギを一週間でも自分の手で飼うことで、その命の重さを感じ、その痛みを感じる。

解剖をする人間にとって、この命の重さ、その命を奪うことの痛みを知ることは、とても大切だ。
ただ解剖してみたいからと、生き物を簡単に殺めてしまう。
それについて、何も感じない人間は、人間としての大切な何かがスッポリと抜け落ちている。

この少女は一体どこで、人間としての大切な何かを落としてしまったのだろう。

でも、僕は、この事件には何処か、この少女にそれだけでない屈折した何かがあるような気がしてならない。
単なる、快楽殺人や解剖でない何か。

それは、父親に対する屈折した何か。
この少女は、自分が取り返しのつかない犯罪を犯すことで、父親を困らせようとしたのではないか。
口では、尊敬していると言いながら、そう言うことで、余計に父親を困らせようとしているのではないかと。

そう。
ちょうど、幼い駄々っ子が、ワザと悪さをすることで、親を自分の方へと目を向けさそうとするように。

そして、小さな子供がカエルやアリに対して残酷なことをするように。

この少女の心は、一見確りしているように見えて、実は、幼い子供のまんまなのではない。
その幼い子供のまんま、人間としての大切な何かをスッポリと抜け落としてしまったのではないか。

そう思うのだ。
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