それなりに賢かった(ケンブリッジ教授)が、ベイズの真意を理解するほどの
賢さはなかった。
つまり、賢さが足りなかった。
昨日の日記において、ラプラスは賢くなかった、と書いたが、ラプラスは
自分できちんと計算しておきながら、あとからやった自らの厳密計算に頼り、
最初の直観的なベイズ的計算の重要性を無視してしまった、という意味で
賢くなかったのだが、フィッシャーは、最尤推定など、ベイズの考えの
あと一歩のところまでいっておきながら、 頭が凝り固まっていたために、
確率分布を、パラメトリックにダイナミックに考えることができなかったため、
ベイズの考え方そのものを否定してしまった。 きっと、ベイズが自分に似ていた
ため、コンプレックスがあったのだろう。 ラプラスに比べて、格段の頭の
悪さである。 頭の悪さにも、レベルがあるものだ。
昨日は、ベイズとラプラスを比較して、英国人ベイズに勝利を与えたが、
今日は、フィッシャーとラプラスを比較して、フランス人ラプラスに勝利を与えよう。
結局頭の良さ、というのは、頭の柔軟性、思考の流動性、発想の転換が
できるかどうか、という点に尽きる。
その点では、やはり、我らがアインシュタインは頭が良い。
まあ、その彼でも、ボーズアインシュタイン統計を作りながら、どうしても
量子論に納得がいかなかったわけだが。。。
その原因は、実はアインシュタインが、確率統計を真に理解していなかったから
ではないか。 彼の熱統計理論(分子論、ボルツマンを乗り越えた、ちなみに
ボルツマンはここがわからず、理論を作りながら、周囲と自分を説得できず自殺した)
アインシュタインの博論の一部)をみると、とても、そうは思えないのであるが。。。。
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