「ふいんき」や「たいく」の仲間? 「多いい」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=58&from=diary&id=2949754
この記事は論理的で面白かった。
ところで、この記事と対極にあるような記事を思い出した。
昭和の時代に『ら抜き言葉』はきらいなんだという国語学者の記事が新聞に載っていた。
その人によると、
「最近は見れる、食べれるといった『でれり』とした日本語がはびこっている。気持ち悪い」
とかなんとか書いてあった。子供のときにちらっと見ただけだけど、年よりはそんな風に激しく気持ち悪さを感じるのか、とちょっとびっくりして、憶えていた。
昭和の終わりも平成のはじめ頃も、結構テレビや新聞で「正しい日本語とは!」とか、これが正しい!とか番組をやっていたりしてたけど、最近はあまり見なくなった。
最近は言葉の変化に対する認識が変わってきたように見える。
昔は年寄りが、「これが正しい日本語!くずした気持ち悪い言葉を使うな!」といっていたのが
今はどんな風に見えるかというと、
言葉は変化するもので、正しいものを決めようとしても変化はとめられない。若者だけが言葉をくずすわけじゃないし、むしろ若者は近くにいる大人の言葉をまねしてるだけだし、ある変な言葉は若者が崩したと思ったら、由緒正しい方言(謎)だったとか、
たぶん“インターネットで知恵を共有できる時代”になったら、なんか正しいものを理屈をつけて決めようとしてもきりがない・・・と気づいたんじゃないかっていう風に見える。
年寄りのものわかりがよくなったというより、
年寄り自身が、「『自分が気持ち悪い』と感じるのは、自分の世界の狭さをばらしてるだけ」
と気づいてしまったんじゃないだろうか。
そんな風に感じた。
推敲なし!
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