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2014年06月23日12:19

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沖縄戦に思う

沖縄戦、69年経て「死の証明」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2935915

僕の祖母は、大阪大空襲の日、たまたま大阪にいる親戚の家に遊びに行っていて、そこで遭った。

空襲警報が鳴って、家の二階の窓から外を覗くと、はるか向こうで火が上がっている。
空襲といっても、遠いところなんだ、と安心していたら、ちょうど円を狭めるような形で、火の手が近づいてきた。

大阪大空襲では、大阪の街を外側から中心部へと住民の逃げ場を奪うように、米軍は焼夷弾を落とした。
逃げ場を失った住民は、中心部へと逃げ惑い、米軍はその住民と大阪の街を焼き尽くした。

祖母がアッと思い、逃げた時には、時既に遅く、B29が落とした焼夷弾が彼方此方で降り注ぎ、家の屋根に突き刺さり、焔が上がった。
祖母が逃げる道には、人の焼けた臭いがし、そこらじゅうに死体が転がっていたらしい。
そんな中を祖母は、命からがら逃げた。

戦争が起こるということは、世界の何処かが戦場になるということだ。
中東で戦争が起きて、日本が集団的自衛権を行使すれば、自衛隊は中東へ派遣される。
戦場は中東だ。

そこでは毎日、多くの人が死ぬだろう。
兵士はまだいい。
死を覚悟して、戦場で武器を持って戦うのだから。
まだ、中には、何の罪もない多くの民間人が戦場では、殺されていく。
多くの子供たちが、お母さんと言って死んでいく。

沖縄戦の日。
僕らが考えなければならないのは、今から69年前、日本が戦場になった、ということ。
そこでは、多くの何の罪もない民間人が、子供たちが殺されたということ。
そんな悲惨なことがかつて日本でもあったということ。

ニューヨーク同時多発テロがあった時。
多くの米国人は、驚き、悲しみ、そして、怒りに震えたことだろう。
米国は、これまで多くの戦争をし、多くの戦争に加担してきたが、それはすべて、他所の国を戦場にした戦争だった。
自国を戦場に、他国と戦争をしたことがなかった。

ニューヨーク同時多発テロは、初めて、米国が本土を戦場に、攻撃を受けた、戦争だったんじゃないだろうか。
そして、そこでは何の罪もない多くの民間人が殺された。

あの時、米国民が感じた怒り、悲しみ。
それは、中東の人が米国に対して感じる怒り、悲しみと同じなのだ。
沖縄戦で家族を殺された沖縄の人たちが感じる怒り、悲しみと同じなのだ。

戦争の悲惨さは、自分の国が戦場にならないとわからない。
日本が集団的自衛権を行使して、自衛隊が中東に派遣されたとしても、僕らが知る戦争は、所詮、報道で知る戦争だ。
だが、派遣された先の中東では、多くのなんの罪もない民間人が子供たちが殺されていくのだ。

もし僕が、中東に住む一般市民なら、きっと、米国人や日本人が悪魔に見えるだろう。
そうなれば、きっと、日本だってこれから先、テロの標的になる危険性もある。
日本がテロによる戦場になる危険性もある。

どんなことがあっても、日本が他国の戦争に加担するようなことがあってはならない。
それが、9条の持つ意味だと、僕は思う。
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