電車内メイク論争、「あり派」vs「なし派」それぞれの言い分
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マナーのことについて、面白いことをブログに書いている人がいた。
身嗜みとは、人のためにすること。
おしゃれとは、自分のためにすること。
エチケットとは、決まりや約束事のこと。
マナーとは、相手への思いやりを表した振舞いのこと。
その方がおっしゃるには、例えば、禁煙場所でタバコを吸わないのはエチケットで、喫煙しても良い場所でも、近くに小さな子供がいたら吸わないようにするのがマナー、なのだそうだ。
これを読んで、僕は成る程と思った。
電車内で化粧をしてはいけない、という決まりはない。
ということは、この問題は、エチケットではなく、マナーの問題ということだ。
優先座席の近くでの携帯電話の使用は、決まりとして禁じられているから、これはエチケットの問題だ。
だから、同等に並べてある、なしを語ることはできない。
どちらかと言えば、電車内で、御飯やお菓子を食べることと、同じ問題になってくるのだろう。
さて、ここで身嗜みとおしゃれについて考えてみる。
身嗜みとは、人に不快感を与えないように、その服装や言動を整えること。また、その心掛け、とある。
つまり、化粧を身嗜みと考えている人は、決して、人前でメイクをするなんてことは、できないはずだ。
いくら、電車内で化粧をしてはいけない、という決まりがなかったとしても、もしかしたら、自分のその行為が相手に対して不快感を与えているかも知れないと配慮できる人は、電車内で化粧をすることはできない。
つまり、化粧を身嗜みとして考えている人は、マナーも身に付けて、初めて身嗜みとして成立するわけだ。
それは、即ち、他人への配慮や思いやりの気持ちを備えた人、ということになる。
一方、おしゃれとは、服装や化粧など洗練したものにしようと気を配ること、とある。
だから、ブログを書いた人は、おしゃれとは自分のためにすること、と解釈されたのだろう。
では、化粧をおしゃれだと考えている人は、自分のためにしているのだから、他人からどう思われようと関係ない。
だから、電車内で化粧をしてはいけない、といいう決まりなんてないのだから、自分が何をしようと自分の勝手だ。他人にとやかく言われる筋合いはない、ということになるのだろうか。
いや、そうはならないはずだ。
たとえ化粧をおしゃれだと考えている人であっても、自分を磨くこと、洗練することの先には、必ず他人を意識することに繋がってくる。
ということは、おしゃれであればあるほど、他人への配慮を考えるようになる。
逆に言えば、いくらおしゃれに振舞っていても、電車内で人目を憚らず化粧ができる人は、実はおしゃれではない、ということになるのだ。
となると、一体どういうことになるのだろう。
要は電車内での化粧の問題は、身嗜みやおしゃれ以前の話で、単なる、マナーの問題なのだ。
マナーとは、相手への思いやりを表した振舞い
のこと。
つまり、電車内で人目を憚らず化粧ができる人というのは、他人の目が気にならないのではなく、単に、他人への思いやりの気持ちや配慮が欠けている人なのだ。
だから、本当のことを言えば、化粧なんてする必要はない。
化粧が身嗜みやおしゃれならば、そうした他人への配慮が自然にできるはずだ。
多分、電車内で化粧ができる人というのは、化粧を義務かなんかと思っているんじゃないだろうか。
毎日、仕方なしにやっていて、邪魔臭くて仕様がないんじゃないだろうか。
僕自身、電車内で化粧をしている女性を見かけても、そんなに気にならない。
だが、自分の嫁が電車内で化粧をしていたら、すぐに止めさせるだろう。
何故なら、それはマナーとして、他人への思いやりの気持ちや配慮に欠けた行為であり、自分の嫁には、いつも思いやりの気持ちのあるステキな女性でいてもらいたいからだ。
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