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2014年06月09日18:32

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腐ったミカン

■問題児童らを隔離、「特別教室」で指導へ 大阪市教委案
(朝日新聞デジタル - 06月09日 15:25)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=2916485

この記事のつぶやきの中に、刑務所みたいだ、と呟いていらっしゃった方がいるが、まさしくこれは、学校という社会の中での刑務所に相当するのだと思う。

以前に何度か学校をテーマに日記を書いたことがあるが、学校というのは、もちろん勉強を学ぶ所だが、それだけでなく、社会に出る前段階として、集団生活の中での自分の在り方を学ぶ場であると、僕は考えている。

一般社会に出るまでに、僕らは、学校生活を通して、子供だけの社会の中で、集団生活の何たるかを学ぶ場であると、僕は思うのだ。
もちろん、子供だけの社会だから、間違いを起こすこともある。
それを教育し、正しい道に導くのが、学校の教師の役目だ。

つまり、学校の中には、大人の一般社会とは別に子供だけの社会が形成されている。
その社会の教師は、唯一の大人として、子供の社会の監督役を務めているわけだ。

この記事にあるように、もし、問題児童らを隔離し、特別教室で指導するとするなら。
それは、ちょうど一般社会における、一般社会で犯罪行為を犯した人間を隔離し、更生させる刑務所と同じ扱いということになる。

僕は、別にこの特別教室の是非を言っているわけではない。

ただ、大阪市教育委員会の言う、レベル4、レベル5の問題行動というのは、一般社会では、問題行動とは言わない。
暴力、恐喝、窃盗、強盗、危険物所持、並ぶ言葉は全て、一般社会では、犯罪行為である。
それこそこれらの問題行動を一般社会で犯せば、逮捕され、場合によっては、刑務所に服役しなきゃならないような問題行動だ。

学校が聖域と呼ばれる所以。
それは、本来は学校内で起こる様々な問題本来ならば、学校内で起こる、様々な問題は、その学校の先生が、生徒と真剣に向き合い、解決していくべきなのである。
学校内に一般社会の治安組織である警察が介入してくる事態というのは、異常と思わなければならないのだ。

だが、今はそんな綺麗事じゃ済まされない所まで来ているのだろう。
今の教育現場に、レベル4やレベル5のような問題行動をする生徒が存在し、且つ問題行動を起こしているという現実があるとしたら、そこに今の教育現場の限界が見えているように僕は思う。

社会にルールがあるように、学校にもルールがある。
学校のルールを守れない生徒に対して、指導する。
それは、学校の先生の役目だ。
だが、この指針にある、レベル4、レベル5といった問題行動は、学校のルールだけでは済まされない。
社会のルールからも逸脱した犯罪行為だ。
こうした行動をとる生徒に対して、学校の先生が如何に指導するか。
それは、学校だけで解決できる範囲を超えているのだろう。

特別教室というのは、一般社会における刑務所と同じ。
大阪市教育委員会としては、こうした問題行動をとる生徒に対する対応として、学校でできる落とし所を見つけたのだろう。

だが、刑務所であるにしても、目的は入所者の更生にある。
果たして、特別教室に問題児童を集めて、ちゃんとした更生ができるのかどうか。
ただ、問題児童だけを集めるだけなら、それこそ腐ったミカンを取り除いただけに過ぎない。

ここに、今の学校教育の難しさがあるんだと思う。


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