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2014年06月03日12:15

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遵法意識と道徳意識

■高校生、車に引きずられ重傷 登校中、約1キロ 京都
(朝日新聞デジタル - 06月02日 12:44)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=2906743


何故、これだけ飲酒運転による重大な事故が連日報道され、その危険性が叫ばれているのに、未だ飲酒運転をする人が絶えないか。

それは、飲酒運転する人間のココロの中に、バレなきゃ、飲酒運転くらい大丈夫だという気持ちがあるからだ。
逆に言えば、飲酒運転や酒気帯び運転で捕まるから、飲酒運転をヤメようとする意識が働くだけであり、それが無ければ、日常的に飲酒を習慣とする人の中に、自主的に飲酒した後に、運転を控える人というのは、どれだけいるんだろう。

飲酒検問に引っかかって、点数を引かれ、高い罰金を払わされる。
だから、飲酒運転をしないだけ。
飲酒運転が怖いんじゃなく、取り締まりが怖いだけだ。

これは、飲酒運転だけの話ではないんだろう。
速度違反だって、駐車禁止だって、取り締まりがなければ、人の遵法意識が低くなる。
現に、公道を走っているクルマが、どれだけ法定速度を守っているだろうか。
守っているなら、ネズミ捕りに対して怒る必要はない。
皆、バレないところで、法定速度を破って運転しているし、それは暗黙の了解だったりする。
取り締まりのある場所だけ、法定速度を守っているだけの話だ。

バレなきゃいいじゃないか。
この思考は、クルマを運転する人間の中に、少しはある。
飲酒運転をする人間の中にも当然ある。

問題は、その思考の中に、どれだけ高い道徳意識が備わっているか、というところにある。
例えば、普段は少しは速度超過して運転している人でも、歩行者の多い通りやスクールゾーンでは徐行する。
自転車の脇を通る時は、速度を落として注意して通る。
これは、遵法意識というより、道徳意識だ。
そうした場所を通る時、どのような危険が潜んでいるか、それを予め想定する危機管理意識だ。

そうした道徳意識、危機管理意識が備わっている人は、飲酒検問などなくとも、絶対に飲酒運転などしない。
遵法意識とは別の意識が働く。
それが僕たちの運転にブレーキをかける。

だが、中には、そうした道徳意識が著しく欠如している人間がいる。
バレなきゃいい、という気持ちの上に、自分さえ良ければいい、という気持ちのある人間。
そうした人間は、同時に危険を察知する想像力も欠如している。

今回、飲酒運転をして事故を起こした男は、当にその典型のような人間だ。
遵法意識が著しく欠如しているばかりでなく、道徳意識も欠如している。
恐らくは、日常的に飲酒をしては、運転を繰り返していたのだろう。

事故を起こした時、すぐにクルマを停めていれば、高校生は、これほどの大怪我をしなかったかも知れない。
だが男は、自分が引き起こした事故によって、怪我をした人の介抱すらすることなく、真っ先に自分の保身を考えたのだ。
そればかりでなく、高校生を引きずったまま、逃走し、振り落とそうとした。

男は、高校生と自転車を引きずっていたことを知っていた。
知っていて、引きずったまま逃走した。
おそらく怖かったのだろう。
自分が飲酒運転をして、事故を起こしたのがバレるのが怖かったのだろう。

その場から逃げるためには、引きずっている高校生を振り落としてでも逃げる。
それで高校生が死ぬかも知れないことくらいは知っている。
でも、自分の身を考えたら、高校生のことより、自分のことのほうが大事なのだ。

この道徳心のなさ。
これが日常的に飲酒運転を繰り返す人間の思考なんだろうか。

こんなことを書いたら、お叱りを受けるかも知れない。
だが、僕は本気で思っている。

飲酒運転を繰り返す人間は、基本的なモラルが欠如している。
ばかりか、自己中心的で、自分さえ良ければいいという人間だ。

そんな人間にいくら道徳を説いても仕方がないのだろう。

厳罰化して、徹底的に取り締まるしかない。
それでも、このような男がいる。
ハッキリ言って、これは事故ではない。
殺人未遂事件だ。

そして、それくらいの罪を以って裁くべきなんだろう。
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