109川崎の最終日に滑り込んで観て来ました。
<あらすじ>
健気なアデルちゃんは、街角で出会った髪の青い年上のエマ姐たまに恋してしまいました。
意気投合して、幾度となく合体を繰り返すアデルちゃんとエマ姐たまでしが、2人の幸せな日々は長くは続きません。
なんと、エマ姐たまは、美しい女性の皮をかぶった、筋金入りのだめんずだったのです。
要するに、こういう話だ畜生め!!
ほんっとに、恋は盲目とはよく言ったもので、惚れた弱みというか、アデルちゃんが、ものの見事にだめんずエマに振り回されて、挙句の果てにふられちゃうっていう、理不尽極まりないお話を延々3時間かけて描ききるという、ドSの極みのような作品でした。
ただ、アデルちゃんもエマも、互いに、本当に、恋にのめり込んじゃってるが故に、自身の本質部分が全くわかってなくて、それが、一層、痛々しい。
では、その事で、ワタクシは、どう感じたかというと、これが、別になんとも思わない。
妙に濃厚と訊いていた、2人のくんずほぐれつも、全然、想定内で、特にエロくもなければ、美しいとも思わない。
強いて言うなら、『あっ、そう。ふーん、で?』なわけですよ。
ホモだろうとヘテロだろうと、レズだろうとゲイだろうと、あるいは、ペットに過剰な愛情を注いでしまう傾向だろうと、『好き嫌いのベクトル』って、当事者それぞれの関係性でのみ成立しているものであって、そこに、共通項やら法則性を見出すほうが馬鹿馬鹿しいと思うわけです。
強いて言えば、余計なお世話。
ことわざで言うところの、蓼食う虫も好き好き。
ワタクシ、個人的には、愛だの恋だのという感情は、互いの遺伝子をまぜこぜにする前段階の通過儀礼程度の意味しかないと思ってます。
なにより、遺伝子をまぜこぜすることこそが、個々の生命体の究極の使命であり目的であることは、疑いの余地がありません。
で、どういうわけだか判りませんが、その使命・目的と精神的嗜好性(指向性)が不一致を起こしてしまう事があり、それは、原因不明だけど、一定の確率で発生してしまうのです。
要するに、単にそれだけのことです。
逆に言えば、愛も恋もなかろうが、遺伝子を混ぜれば高確率で生命は生まれるし、生まれちまったら、それは、それで愛おしくて仕様がないのです。
だって、そいつは、確実に、自分のコピーだもの、可愛くてしょうがないに決まってます。
で、このお話の2人は、たまたま、決して遺伝子をまぜこぜできない立場に生まれついてしまったわけで、それは、もう、本人達にはどうしようもない。
だから、望もうが望むまいが、それを受け入れるしかありません。
そんな立場におかれたことのないワタクシには、全く持って、その不憫やら、口惜しさはわからないです。
ひょっとしたら、自分が老齢化して、不能になったときに、ぼんやりと理解するのかもしれません。
2人は、お互いに、遺伝子配合をなし得ない立場という意味で、同じ立ち居地にいます。
でも、表面上同じ境遇にもかかわらず、ワタクシは、アデルちゃんに同情し、その若さや愚かさを許せても、同じようにエマの立場を認めて赦す気にはなれませんでした。
それは、エマさまが、あまりに、天然で、身勝手が過ぎるから。
完全にアデルちゃんを自身より下に見下して、めんどくさいことのすべてを押し付けてしまっていることに無自覚すぎる、悪い意味での天才的感覚の持ち主。
散々、パートナーに尽くされ、もてなしてもらっていることをされて当然かのように受け止め、皿の一枚すら洗わないばかりか、せめて、慰めに抱いてほしいと願うアデルちゃんを『アレの日だから』の一言で放置する場面には、ワタクシ、マジでキレました。
あえて、お下劣に表現するなら、
『てめえの指も舌も健在だろがッ!アデルを悦ばしたれや、この腐れマン□野郎ッ!!』
です。
ほんと、あれが、ワタクシの立場だったら、カミサンからフライパンで殴られて部屋から追い出されるか、本気で、息子を連れて家出されてしまうレベルの話です。
さらに、ご尊大なるエマさまのご乱心は、それだけにとどまりません。
なんと、新たに自分に言い寄るパートナーの妊娠は大歓迎して、疑似家族ごっこにご執心。
では、肉親ほしさに自分自身が妊娠するかというと、そんな考えは毛頭ない様子。
妊娠ごときで、自分の崇高な創作活動が中断されるのが嫌なのだということが、そこかしこからにおって来ます。
しかも、かなりの腐臭をともなって。
エマさまは、事あるごとにアデルちゃんに創作活動を薦めます。
それは、あたかも、彼女が選択した職業が、芸術よりも下のレベルだと言わんばかり。
どうやら、才能あふれるエマさまのオツムの中身には、『創作活動>>>>堅気の職業>>>>平凡な家事』という絶対基準が存在していている模様。
それって、戦前の男尊女卑思想の変形版じゃないのかね?
妊娠のリスクも、種付けの責任も負わず、結果だけほしがるって、根本的な考え方が甘すぎやしねぇか?
それとも、エマさまにとっては、血のつながっていない子育てって、ある種の慈善事業のつもりなんだろうか?
あるいは、エマさまの本質が、男根主義の超保守って、ひょっとして、開かれた家庭に育ったが故の反動なんでしょうか?
もしも、エマさまが、来世で、男に生まれ変わる機会に恵まれたならば、是非とも、思いやりに欠ける、性格の悪いイケメンに生まれついていただきたい。
そして、その美貌で数々の浮名を流すものの、ルックスに恵まれすぎるが故に人生の深みを身につける機会をドブに捨て続け、人生の年月を無駄に重ねていただきたい。
結果、普通の男が人並みに努力して生きてさえいれば身につくはずの知見や機転の欠片も無い、もはや、人生をやり直すにも遅すぎて、救いようのない元イケメンとして枯れ果てていただきたい。
最期は、都心のタワーマンションの一室でさびしい晩年をすごした末に、人知れず、孤独死して人生の幕を下ろしていただきたいと願うばかりです。
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