震災の時僕は勿論仕事中で、次のお客さん宅に行くためバイクに乗ってました
ハンドルがやたらと取られるので
『パンクかな』
と思って路肩にバイクを停めて確認しても異常なし
ふっと見上げたら電線がすごい勢いで揺れていて、やっと地震だと分かった
局や、自宅に連絡を取ろうとしたものの電話が全く繋がらず、一旦局に戻ったら、どこもかしこも停電で全く仕事にならない状態
小雪が舞う中定時で帰宅したものの、信号機は機能してないし、田舎なので辺りは真っ暗闇
両親とも無事で、棚から落ちたものなどを片付けていた
2階の僕の部屋は予想通り、ウーパーさんの水槽の水がこぼれて水浸しになっていた
停電のためテレビが使えず、流していたラジオからは
『岩手県沿岸地域、壊滅的な被害』
という言葉が連呼されていた
ろうそくの灯りで夜を明かし、電気が復旧したのは日曜日の日付が変わり月曜日に変わったあたり
そこで初めてテレビで津波の様子を目にし、この世のものとは思えない状況に言葉が出ませんでした
その後は、スーパーやコンビニから物はなくなる、ガソリンを入れるための数Kmもの列など、日常とは思えない光景ばかり
釜石にいる、昔一緒に仕事をした
の同僚、先輩からは無事の連絡がやっと入った。無事で生きていることが嬉しかったので、お互い泣きながら
『良かった〜良かった〜』
しか口からは出てこなかったなぁ
先輩は津波がきたとき、バイクで高台に避難したのだが、通勤で使っていた車が津波で流されてしまったと言っていた
僕の自宅は、岩手でも内陸部なので、津波の被害はなかったのがせめてもの救いでした
あれから3年
僕は震災の年、23年の7月に異動
そして25年の4月に今の
に異動
と僅か3年で3局も経験しているせいもあってか、あっという間でした
『明けない夜はない』
とはよく言いますが
『いつ明けるか分からない夜』
もかなりの恐怖
一歩一歩、復興に向けて進んでいますが、決して忘れられない、忘れてはいけないと改めて感じます
http://www.youtube.com/watch?v=HR_6W7GdWPs
http://www.youtube.com/watch?v=aQj2zn5Axmk
今日のBGM
本日はお休みさせていただきますm(_ _)m
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