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2014年01月21日20:25

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隣りの家訓に口出しするな

イルカ漁 知事が米大使に反論
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2730968

最近寒い日が続く。
こんな日は、コートの一つでも羽織らないと、とてもじゃないが寒くて外に出られない。

もし、ケネディ駐日大使が、ミンクのコートなんかを着て、捕鯨やイルカ漁が残虐だなんて演説してたとしたら、それこそお笑い種だ。
まあ、高尚な動物愛護精神を持つケネディさんのことだから、おそらく毛皮を着ることなんかないのだろう。

だが、そんなお笑い種が世の中にはある。
捕鯨が残虐だと言いながら、欧米のセレブリティが反捕鯨団体シーシェパードに、資金提供する。
そんなセレブリティは、象牙や毛皮で彩られた家に住み、肉を喰らい、毛皮のコートに身を包んで捕鯨が残虐だと宣うのだ。
或いは、娯楽で闘牛は楽しむくせに、捕鯨は残虐だと宣う。

世の中、まったく勝手なもんだ。

何故、ウサギは一羽、二羽と数えるのか。
何故、イノシシの赤ちゃんのことをウリ坊と呼ぶのか。

これは日本人の食文化を考える上で、とても大切な事だ。

僕たち日本人は、古来、四つ足の動物を食べることを敬遠した。
これは諸説あるが、所謂、獣を捌くという行為が穢れである、と見做されてきたことに由来するのだろう。

タンパク質は、主に魚や鳥の肉を食することで、僕たち日本人は補ってきたのだ。

鯨やイルカ漁なんかも、そんな日本人にとっての重要なタンパク源だったのである。
しかしながら、山里に住む人は魚を獲ることはできないし、鳥だって簡単に獲れるわけではない。
そんな中、どうしてもタンパク源を必要な時、山里の住む人たちは、例えばウサギの耳を羽根に見たて、あれは鳥だということにして、ウサギを獲った。
また、イノシシの赤ちゃんを瓜に見たて、あれは瓜だということにして、ウリ坊を獲った。
また、イノシシの肉のことを山クジラと呼んだ。

まさに、苦肉の策だったのだ。

今でも、馬肉を使った鍋のことをサクラ鍋と言うし、猪肉を使った鍋のことをボタン鍋と言う。

僕たち日本人が、今のように抵抗なく牛や豚の肉を食べるようになったのは、それこそ、明治維新以降、西洋の文化が日本に入ってきてからだ。

つまり、それこそ日本の長い歴史を振り返ってみても、たかだか150年くらい前の話なのだ。

もちろん、時代の変遷とともに、食文化も変化する。
今や、牛肉や豚肉も食べられるこの時代、わざわざクジラやイルカの肉を食べなくても、確かに生きていけるだろう。

だが、古くから伝わる日本の文化に対して、余所の国にとやかく言われる筋合いはない。
特に、日本に駐在している大使が、そんな日本の文化や歴史を理解しないで、とやかく言われる筋合いはない。

西洋から持ち込まれた文化によって、僕たち日本人の文化は大きく変わった。
食文化も大きく変わった。
だからといって、西洋の食文化が正しくて、日本人の食文化が間違っているわけではない。
況してや、残虐だとか野蛮だとかで、余所の国に日本人の食文化を否定するのは、あまりに傲慢過ぎやしないだろうか。

僕は、そんなアメリカの傲慢さが嫌いだ。
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