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2014年01月07日23:42

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クリスチャンの仕事16

この前の続きを書いてみる。はじめに、繰り返しになるが、聖書はイエスキリストを人々に伝えること(伝道)をクリスチャンに要求している。だが伝えた相手に納得させることは要求していない。この日記はあくまでも、伝道せよという聖書の要求に応答するために書いているのであって、レスを求めているのではない。でもレスが来たら、ありがたく読ませていただき、祈って行きたいと思う。また、あくまで現時点での私の聖書理解だから、間違いがあるかもしれない。

 同じ聖書を使っていながら、なぜ様々な教派があるのか…「クリスチャンといえども罪がないわけではなく、ただ神に罪がゆるされているのであって、分裂、分派は罪の結果」というのがよく聞く答えだ。しかし、そうではなくて次のように教えられたこともある。「分厚い聖書の中には難解だったり見落としがちな内容も沢山ある。ある時ある人が、聖書の中から新しい内容に気づき、それまでの考え方を改めて新たな信仰生活を始め、新教派が発生する。しかし、古い考え方に固執してきた人々にとっては、新しい考え方は理解できず、すぐに同調することができない。むしろ新しい考え方が怪しいものに見えてしまうこともある。こうして教派が増える。」というものだ。カトリック、聖公会、プロテスタント、またプロテスタントの中でも沢山の教派があるが、それらは皆こうして生まれてきたのだという。今の私はこの説に信頼している。ただ、聖書自身に書いてあるように、「御霊はひとつ」なのであって、分裂、分派は決して良いことではない。旧・新両約聖書を真理の書として受け止め、イェスを主と告白するならば、聖書の解釈に現時点では多少の差があっても「主にある兄弟姉妹、神の家族」として手を取り合っていくべきだと思う。将来は、徐々にまた聖書に書かれた様々な真理が明らかになってきて、多くの教団、教派が一致の方向に進むことを期待している。
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