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2013年11月27日02:15

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コメントクオリティ

音楽日記じゃないのかよっ!今回は僕の日記の記録とコメントについて論じるよっ!

僕が9月4日〜11月20日の間書き続け、大人気を博した(と妄想している)理系日記シリーズ。この間にコメント考察としては興味深い出来事が二つも起きました。

ひとつは11月6日に書いた「天文その他」。2012年6月27日の「ヤフコメノススメ☆」で、実に71回ぶりにノーコメント日記となりました。天文の話題は皆さんに好評だろうと予想していただけに、非常にびっくりしてしまいました。

もう一つは理系日記シリーズを止めてまで伝えたかった10月2日の「いただきました」です。これはもう…さまざまな新記録を打ち出してくれました。



まずは…「天文その他」から行きましょうか…。これはシリーズ中で唯一、グッズを複数扱っています。そしてこれだけが分野も二つ扱っています。その分野は天文、そして化学。なに、化学!?あのエレメンタッチがいけなかったんだろうか…。僕が特に好きな分野である化学、なんであんなに嫌われているんだろう?

長文だといつも言われているからかな?と思ったんですけど、他にもっと長文な理系日記もあるし何が原因かは分からないですね…。もしかして…理系日記が不人気?いやまさか。でも今後はもっといい日記を書くことを心掛けないといけませんね。



そして「いただきました」。僕が内定を取ったことを伝えた、内定通知後最初の水曜日の日記なんですが、これがすごかった。初めからその日記までは258個日記があったのですが、この日記はいろいろな最高記録を残しました。

フォト

例の日記から過去50個分を取り出し、縦軸にコメント数、横軸にイイネ!数をプロットしたもの。

・最高コメント数 73
・最高イイネ!数 37
・最高コメント人数 34
・イイネ!かつコメント人数 11
・最低文字数 2
・最速投稿時間 00:00

文字数や投稿時間は僕の采配でなんとでもできますが、こんな結果は初めてです!それまでの最高コメント数は2013年1月2日の「もうオフ会に行きません」の46、最高イイネ!数は2012年12月26日の「とり・フィナーレ」で19でしたから、両方の記録を単一の日記で塗り替えたことになります。特にイイネ!は倍近く。37なんてコメント数でも難しいのに。1月16日の日記「イイネ!とコメントの関係」の自説(イイネ!とコメントは相反する関係で、どちらか一方が多く貯まる)っていったいなんやったんや…。

みなさん、イイネ!もコメントも本当にありがとうございました!

マイミクの記録的な日記をいくつかちょっと拝見したこともありますが、コメント数とイイネ!数のどちらかで抜かれたことはあっても両方とも僕を抜いた日記はありませんでした。…と思ったら1つ見つけました。やっぱすごいわTさん。



では本題に入りましょう。先ほどの日記ではコメント数で一喜一憂していましたが、それとは別にここ最近思うことがあるのです。



理科離れと同じように最近若者の活字離れ、本離れが進んでいるといわれて久しいですね。主に文字が情報媒体となるmixiでもその傾向が見られるような気がするのです。


あなたのコメントのクオリティ、本当にそれで大丈夫ですか?


ずいぶん挑戦的な書き方ですが、皆さんの周りではどうですか?何よりあなたのコメント、それでいいんですか?

マイミク非マイミクを問わず、コメントによく見られるものに以下のものがあります。

・短文すぎる
・同じネタの使い回し
・脈絡が合わない

例えば超短文で「嘘だ」というのがあったとします。主語がないこのコメントはクオリティが高いですか?これの字数を稼ぐために「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」と書いたらコメントの質は上がりますかね?まあそんな反復コメントなんてそう来たことない(他の人のも見たことない)ですが、こういうのもクオリティは低いのは分かりますね。同様に「あれ?以前そんなコメ来たよね…?」「あれ?笑かしに来てるけどそのネタ何度も見たような…?」というのも。「文にはなってるけど…こいつ何言ってんだ?」と脈絡が合わないコメントもありそう。むしろこれは僕がしてそう。

こんなんではどれも返信することができません。いやするけど、すごく負担です。みなさんはそんな経験ありませんか?


はっきり言います。自分の中でコメントの量の時代は終わった、これからはコメントの質の時代だと。


ここ最近、これら3つに共通するものを見つけました。こういうコメントはどれも“汎用性(使える場面の多さ)”が高いのです。

汎用性が高いというと、道具なら普通はどこでも使えるということなのでいいことなのですが、コメントについてはそうも言えないようです。


コメントの中には、もし他の日記に全く同じ文を書いても特に不自然さを感じないというものがありませんか?例に挙げた「嘘だ」だったら、「イピーは実は文系だ」とか「水樹奈々が嫌いなんだ」とか書いたらそれに対するコメントとして両方に使えます。いや、使えてしまいます。「嘘だ」なんて短いコメントだからこんな高い汎用性になるわけで、「理系日記書くのに嘘だ」だったら後者に使えませんよね?

汎用性が高いコメントの場合、同じネタを何度も使いまわすことができます。これは某塾講師の「今でしょ!」なんかが顕著な例で、いろいろな場面で使えることが一つの売りでもあります。あまりこのネタを批判する気はない、つーかむしろ僕もこれ好きなほうなんですけど、これをコメントとして何度も何度も使ってきたらどう思いますかね。「本当に自分をわらかしに来る気あるの?」と思ってしまいませんか?

文として成り立ってはいるのに、論点が少しずれている。すなわちこれは本当に使える場面がどこかに存在するということになります。そのコメントが本当に書かれるべき別の日記やボイスが。実際にあるかは別として。コメントの汎用性を低くする(ちゃんとコメントをこしらえる)仕方にもちゃんと方向を見定めて慎重に行わないといけないということです。


汎用性だのなんだのと、難しいように書いていますがこれは定義として明確にしたかっただけで、ようは“短すぎず、一から作った、筋の通った、ちゃんとしたコメントを書きましょう”ということです。もちろん僕がこの理想に近い存在だとは微塵も思っちゃおりません。ですがコメントクオリティを上げる努力を惜しむつもりはありませんよ!



しかし、ここでもやはりあの例外的な日記「いただきました」が関係します。ここでは「おめでとう!」「おめでとうございます!」「おめでとう!」などみなさんからたくさんのあたたかいコメントをいただきました。…しかしどれも長くなく、そしてどれも似た内容なのです。これは前述した僕の理論ではお世辞にも高いクオリティとはいえません。だけど誰が見ても正しいコメントなのは明らかです。そこに間違いはありません。じゃあやっぱ前述の僕の考えが間違ってたの?ぐすん…。

しかしコメント欄ではなく、日記本文を見て思いました。以下に2013年10月2日の日記全文を書きます。日記全文を丸々、別の日記に書くのは初めてかもしれないな〜。


内定


主語も述語も無く、たった漢字二文字で熟語を書いただけです。いつもらったのか、どこに内定もらったのかなど他の情報は一切含まれていません。こんな低クオリティ日記では“僕の考えでいう”クオリティが高いコメントなど、誰にだってできるはずがありません。じゃあ“クオリティの高い”歌のアドバイスや理系の雑談でも、する?それこそ最低クオリティのコメントです。

つまり“クオリティの高い”コメントがほしければ、まず自分が高いクオリティの日記を書けということですね。高クオリティのコメントをもらうため、もっといい日記を書きたいところです。
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