「新聞広告クリエーティブコンテスト」最優秀賞が衝撃的 / 小鬼が泣きながら「おとうさんは、桃太郎というやつに…」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=114&from=diary&id=2617841
(長文です)
★子鬼が広告の中で泣いていますが、
『この広告を見て、「泣ける」「これはいい」と
感動している人がネットにはたくさんいる!』
というこのコラム内容を読んで、
「僕のほうが泣きたい」思いです
★「子鬼が泣いている」という結果だけ見ると、
さも、「桃太郎が残虐な殺戮魔」(笑)
のように錯覚してしまいがちですが、
『そもそも、「なぜ」桃太郎は鬼退治に出かけたか?
』
というふうに視点を広げてみると、
当然、見え方は180度変わります。
(鬼が「先に」人間たちを弾圧したから、
桃太郎はそれに「反撃して」鬼たちを殺したことは、
皆さんもご存知ですよね?)
★このコラムを書いたライターさん(夢野うさぎさん)の、
「ちょっと視点をずらして、
自分以外の立場から見てみることも必要」
という言葉自体はその通りで、大切なことだと思います。
が、それは、
『より幅広い視点で、
可能なかぎり客観的に物事を知ろうとした』
結果にうまれてくる 物の見方です。
少なくとも、この広告のような、
『本来の情報を、トリミング(一部切り抜き)』
したものではありません
この広告は、「幅広い視点」どころか、
むしろ真逆の、
『意図的に視点をせばめた』 結果、
うまれたものです。
こんな大矛盾をふくんだ代物で、
「感動!」 「全俺が泣いた!」
などと騒いでいる連中って、なんなんでしょうね?
★物事を見るときには、単なる「見た目の印象」ではなく、
そうした枝葉をはらった後に残る 『本質
』 で、
考えたり評価すべきではないでしょうか?
でなければ我々はいつまでたっても、
一部の者がしかけた「うわべの印象」に踊らされるだけの、
憐れな情報弱者(搾取されるだけの者)として、
その大切な人生を終わってしまうように思うのです
【終わり】
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(以降は、このニュースに関して自己陶酔した日記を書いていた
愚か者の言動に関してのものがほとんどですので、
興味の無い方はお読みくださらなくてもOKです
)
【追記1】
ちなみに下記は、
この広告について好意的な日記を書いていた、
「北川ブレアchihir0」という人の日記に投稿した、僕のコメントです。
僕の日記の補足にもなると思ったので、
こちらにコピペしました
もともと、今回のニュースに日記を書くつもりは無かったのですが、
(大多数の人が、この広告の質の低さを看破していたので、
わざわざ僕が指摘するまでも無いだろう、と思っていたのです)
この「北川ブレアchihir0」が返してきたコメントを見て、
「あぁ、世の中にはまだまだこうした、通きどりの情報弱者がいるのか…
やっぱり一言書いておくべきなのかもしれないな…」
と思い直したのが、今回の日記を書きはじめたキッカケでした。
なお、この人は、
自分の意見が否定されたことでよほど頭に血がのぼったのか、
僕のことを 『あれは荒らしですからwww』 とわめいて(便利な詭弁ですね)、
コメント欄で同好の連中と慰めあっております。
「自分の意見を認めない者」 は、イコール 「荒らし」 とは…
高すぎるプライドは、人生にとっては「足かせ」でしかないという
実例を見せられたような思いです
(ちなみに以下が、僕が投稿したコメントです↓
僕の発言が本当におかしいかどうか、
ぜひ皆さんにも吟味していただきたく、コピペいたします)
★日記主さんのように、
「かわいい」「癒しがある」といった視覚的な良さだけを見て、
そこで語られている「本質」
(今回の場合は、先に手を出していた「鬼」を
さも「被害者」であるかのように表現している
見ようによっては印象操作とも取れる内容)
に違和感を感じられないことのほうが、
「無思考」という意味で、はるかに問題だと思うのですが…
それを「小姑だ」「キモい」「これだからネットは」などと
脊髄反射な言葉で批判して悦にひたっている、
そんなあなたのほうが滑稽ですよ?
★あと、「子供の涙」「弱々しい小動物」は、
広告やメディアなどが手っ取り早く評価を得たいときに使用する
典型的な「材料」だということも知っておくと、
こうした「小手先の」広告にノせられずに、
冷静にものを見る目を養う一助となるかもしれません。
ご参考までに…
(投稿したコメントは、以上です)
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■【追記2】
★この日記を書き終わってから、
『どうして、この程度の薄っぺらい広告で、
「感動した」 「泣いた」 などと騒げる者が出てくるのだろう…?
』
と、考えていたのですが…
ふと、思い当たりました。
この程度のもので感動する人は、結局のところ、
『普段、「多様性」というものについて、
ほとんど真剣に考えたことが無かったから、
この程度の広告でも大ショックを受けて感動してしまう』
のではないでしょうか?
逆に、普段から「多様性」についてシッカリと考えている人は、
この程度の広告を見ても、
「こんな分かりきったことを、何をドヤ顔で広告にしているんだ??
」
としか感じず、
しかも、そんな代物が「最優秀賞」なぞを取っているので、
「大丈夫なのか? 日本…」と、不穏なものを感じずにおれず…
それが、このコラムへの「反論・疑問の声」となって、
日記やつぶやきに表れているのだと思います
こんな薄っぺらい広告に反論・疑問を感じれずに、
「どうして難癖をつけるのですか!?」
「もっと素直に物事を見てくださいっ!」
などと自己陶酔している
おバカさんたち(あるいは工作員?)と相容れるなんて、
「まともな神経なら」無理ですものね
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【追記3】
ちなみに、先述の「おかしな日記」を書いていた
「北川ブレアchihir0」ですが、
現在、ちょっと面白い行動を取っています。
★皆さんもご存知の通り、mixiのホーム画面左上には、
「最近ついたコメント」の報告欄があり、
新着コメントが何件ついているかが分かるのですが…
たとえば「10件」ほど、いただたコメントが溜まっていたので、
その履歴を見てみると、
「北川ブレアchihir0」の日記のコメント欄から、
「5〜6件」ほどの返信がついたと言われるのです。
で、「さては、マイミクと複アカを総動員して、
数で僕の主調をツブしに来たのかな?
」 と見に行ってみると、
不思議なことに、『僕宛のコメントは1件もついておらず』、
そこにあるのは、「北川ブレアchihir0」に賛同した意見で馴れ合う、
駄文コメントが数件増えているのみ…
これは一体、どういうことだろう…??
★そういうことが、3〜4回続いて、
僕にもようやく事態が飲み込めてきました。
「北川ブレアchihir0」は、自分に都合の良いコメントがつくと、
それに賛同してはしゃいでいる自分たちの姿を見てほしいあまり、
僕のコメントの返信ボタンを、
何度も何度も何度も何度も何度もクリックして、
『 僕を呼び寄せていた』 わけです。
★なんとも薄気味悪い挙動ですが、
ストレスなどで軽い鬱病になり、思考が単純化してしまった者には、
こうした「偏執性」が、その言動のどこかに必ず現れるものです。
「北川ブレアchihir0」本人は、
僕への反撃のつもりでやっていたのでしょうが、
結局それは、「わたしゃ真性なんですよ〜〜」と、
自分の異常性を自己紹介しているのも同じです。
まったく、バカというものは、
「墓穴をほらせたら右に出る者はいません」 ね
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【追記4】
2014年5月に、同類のニュースが上がったため、
過去日記であるこの日記にリンクをしてみたところ…
僕の日記を見て、頭に血がのぼったのでしょうね。
先述の 「〜chihir0」 が、半狂乱になって、
『バカの上目線日記が多いw 広告業界のことをもっと知れ!!』
と大騒ぎしていたのが、大笑いでした
どうしてユーザーサイドが、広告業界の損得に合わせて、
「大したこともないコピー」に拍手を送らねばならないのか…??
こういう、はいて捨てるほどいる底辺クリエイター(笑)による、
『業界通 きどり』 は、つくづく みっともないというか、
それ以外の「真剣に物づくりに携わっている者たち」からすれば、
迷惑極まりない行為だと思っています
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