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2013年10月07日06:31

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「犬の伊勢参り」

 先月21日に読了していた図書館本「犬の伊勢参り」平凡社新書。要約と感想を書き忘れていたのでメモ。著者は元新聞記者で、毎日映画社社長。

 江戸時代中期から明治初期にかけて、人間の代わりに動物(典型的には犬。牛や豚などもマレにあり)を代参させることがしばしばあった。司馬遼太郎などは一笑に付していたが、著者が研究すると事実であり、しかも少なくない数、発生していたことが分かった、様々な記録が残っている、という内容。




 (記録上)最初の「犬の伊勢参り」は明和8年(1771年、第十代家治将軍や田沼意次の頃)4/16昼ごろ。

 明和6年9月に式年遷宮があり、同8年頃は伊勢参拝熱が高まっていた。同4月にはお蔭参りも発生している。

 そんな中、外宮前で平伏している犬がいた。首には飼い主を示す名札(山城国久世郡槙の島 高田善兵衛)もあった。神官達は「お参りに来た?」と解釈し、法を無視して首にお祓をくくりつけ放してやった。その後、犬は内宮にも行った。帰り(おそらく同方向の参拝者が順送りで送った?)、首には銭が巻き付けられ、途中、軽くするため銀に両替されていたりした。

 その後、特に式年遷宮の前後などに多く動物の代参は発生。単なる迷い犬がそうと誤解されたり。途中で行方不明になる犬も当然発生。宿場毎に次の宿場まで送り届けてやるのが半ば常識と化していたり(拒否する宿場もあったが)。

 江戸時代、特定の個人飼い主を持たない、地域で飼っている犬が多くいたことも、このようなことが起き得た一因か。犬は皆で世話をするもの、というのが常識だった。

 明治4年、神官の世襲廃止、御師によるお祓や暦の配布停止などで、代参犬が頼る先が無くなった。また、明治6年「無主の犬は殺すべし」との東京府知事畜犬規則が出て、地域犬の存在が事実上禁じられたことも廃れる一因に。

 明治7年9月、東京新和泉町(中央区人形町)の古道具屋角田が名札を付けていない白犬を見て、殺されたら可哀想だと思い、自分の名と町名を付けた札を付けてやった。別の誰かが連れ出し東海道方面に。さらに別の誰かが代参犬と勘違いし首に銭を巻き付け、、結局11/9に参拝。戻ってきた時は6円も施し銭を持っていたという。これが記録に残る最後の代参犬。



→ 著者の職からして、ホントに近々映画になりそうな...
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