mixiユーザー(id:11340918)

2013年09月11日22:41

19 view

有害なものは撤去するという考え方について

つくる会が「ゲン」の撤去要請
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=2574328

 僕は「はだしのゲン」なる漫画を真面目に読んだことはない。たしか「少年ジャンプ」に連載されていたと記憶しているが、作者の画風が僕の趣味には合わず、またグロテスクな描写が多くて、小学生だった僕には受け入れ難かったのだ。

 そういうことなので、この作品の著者の思想性とか主義主張については何らコメントする資格はないのだが、このニュースに書かれているコメント、「学習指導要領に反する漫画の内容に子供たちが共感すれば、教育が成り立つはずがない」という考え方については些か違和感を感じる。

 先日、宮崎駿の最新作「風立ちぬ」(実はこの映画も僕は観ていない)での煙草の扱いについて、禁煙推進団体からイチャモンをつけられていたが、あれと少々似ていなくもない。

 これらに共通するのは、「有害なものは、一般人の目に触れること自体好ましくないので、すべからく撤去すべし」という考え方である。こういう考え方を突き進めると、エライ人たちにとって都合の悪いものは禁止してしまえとか、そんなものを書く奴自体を取り締まれといった感じの、いわば「焚書坑儒」的な思想になってしまう。

 思うのだが、子どもというものは、いろいろ雑多な情報、美しいものも醜いものも、上品なものも下品なものも、洗練されたものも下劣で残忍なものも、あれこれと接していく過程で、批判精神が養われていき、自分なりの主義主張なり、美意識なりを身につけていくものである。最初から、「文科省推奨」みたいなものばかり与えられて、純粋培養されたような子どもなど、却って気持ちが悪い。

 それに普通の子供(僕もそうだったが)ならば、親や教師が「有害だ」と禁じるようなものほど、余計に興味を持つだろうし、隠せば余計に見たくなるものである。「猥褻だ」と隠すから、隠さなければ特段大したことのないものさえ、見たくなるのと同じである。

 長くなったが、都合が悪かったり好ましくないからということで撤去する、なかったことにするというのは危険思想である。「無菌室」みたいなところで育てられた子どもは、ひ弱で抵抗力のない生き物として欠陥品みたいな大人にしかなれないという気がする。 

8 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する