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2013年09月07日16:32

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触らぬ神に祟りなし

車椅子客の入店拒否など259件
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=2569548

 前に乙武氏のブログ炎上事件に関する記事を日記に書いたことがあったが、昨今の身障者は自身の権利を主張することに関しては何ら遠慮するところがないので、何か気に障ることがあると、相手の事情など考えずに、「差別だ」と声高に叫ぶ。客商売であれば、下手に身障者のご機嫌を損ねるとロクなことはないので、「身障者さま」から仮に我儘な要求をされても、たいていのことならば、忍び難きを忍び、耐え難きを耐え、とにもかくにも、無難に何事もなく「身障者さま」に通り過ぎていただけるように身を低くしてやり過ごすことを選択する。身障者と喧嘩などしても体力と時間が途方もなく無駄になるだけだからである。

 もちろん、身障者に対する差別行為を擁護するつもりはない。だが、あまりに自己の権利のみ声高に主張されると、「ちょっと待ってくれよ」と言いたくなる。所詮、彼らは健常者の負担や保護なしでは平穏な生活さえままならない立場なのである。したがって周囲に対する感謝の気持ちを一日たりとも忘れないでもらいたい。

 感謝の気持ちがあれば、飲食店や美容院に行くにせよ、自分が身障者であることを事前に伝えた上で、受け入れの可否を確認するくらいのことはするであろう。世の中のすべての商業施設がバリアフリーであるとは限らない。バリアフリーでないことイコール差別だと考えるのも短絡的である。追加工事をしたくともその余裕がないところだってあるだろう。身障者の介助をしたいと思っても、繁忙日や忙しい時間帯に来られてはどうにもならないこともある。自分の権利を主張するのであれば、相手の事情も思いやるべきである。それがお互いさまということである。

 話が少々逸れるが、僕の勤務先で、先日「セクハラ事件」があった。「加害者」も「被害者」も若い社員で、机を並べて一緒に仕事をしている同僚である。「セクハラ」の内容もごく他愛のないもので、「加害者」が「被害者」のメイクの出来映えや、通勤時の私服のセンスの良し悪しについて品評したことが気に食わないというのだ。「加害者」の方は「被害者」に対して別に性的な関心を持っていたわけではなく、同年代の同僚に対する日常会話の延長線上の感覚で、大した悪気もなく発言した内容に過ぎない。不思議なのは、もし「被害者」が「加害者」の発言が気に障ったのであれば、そのように「加害者」に対して言えば済むことであるのに、そのようにはせずに、いきなり本部のコンプライアンス関係の部署に直訴してしまったことである。それでも、「被害者」からセクハラ事件として会社に訴えがあった以上は、会社として放置することもできず、これ以上両名を一緒の職場に置いておくわけにもいかず、気の毒ではあるが、「加害者」の方は他部署(あまり日の当らないポスト)に飛ばされることとなった。まだ若いのにかわいそうな話である。

 身障者の話とセクハラとでは関連性が乏しいと思うかも知れないが、どこまで範囲を広げて「差別」と言うか、「セクハラ」と言うかは、「被害者」の主観次第だという点できわめてよく似ているのではないだろうか。

 些細な事柄まで目くじらを立てて、「差別だ」とか、「セクハラだ」と声高に主張しはじめるようになると、身障者にも、女性にも、軽々には近寄れなくなる。まさに「触らぬ神に祟りなし」である。何やら窮屈な世の中になったものである。「少々のことは目をつぶれ」「大目に見ろ」と言っているのではない。「差別だ」「セクハラだ」と大仰な言葉を用いる前に、もっと普通にお互いに会話をして、双方の事情や立場、考えを理解し合うことはできるだろうし、人間は昔からそうやってお互いに「空気を読み」「距離感を量り」ながら他人とうまく関わり合ってきたのではないのか。

 うまく言えないが、現代人は日常生活における実際的な問題解決能力が衰えてきているような気がしてならない。
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