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2013年06月30日09:48

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寝顔を見せて(未完)

無痛分娩を周囲が認めてくれません
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=116&from=diary&id=2486097

今、僕の隣には2歳の息子 みのりくんが寝ている。
その隣には、嫁が寝ていて、さらにその隣には4歳の息子 はるちゃんが寝ている。

この蒸し暑い中、みのりくんは僕にくっついてきて、抱きつこうとしてくる。
そんなみのりくんの寝顔は、たまらなく可愛く、たまらなくいとおしい。
昼間のやんちゃな顔が嘘のようだ。
息子の寝顔を見てそんな気持ちになるのは、きっと僕がパパになったからだろう。

もし、出産の痛みを経験しなければ、母親は母性を感じないというなら、妊娠じたいを経験できない僕たち男は、永遠に父親になれないだろう。

いや、陣痛の痛みを経験することで、女性は母性を感じるのかもしれない。
しかし、それは母親が母親となっていく中の数あるシチュエーションの一つなだけであって、それだけが母親が母性を感じる全てではないはずだ。

嫁が初めて一人目を妊娠した時、嫁は風呂の中で、僕に隠れて泣いていたことがあった。
後で、嫁に聞いたのだが、出産する時の痛みを想像すると、怖くて怖くて泣けてきたのだそうだ。
男である僕には、この恐怖だけは、絶対に経験することのない恐怖だ。
経験することのない恐怖に対して、僕は嫁の恐怖がどれくらいのものか共感はできない。

ただ、そんな嫁の姿を見て、漠然と僕の心の中にまだ僕にはない母親になるという覚悟というようなものを感じた。

嫁が、はるちゃんを生んだ時のことは、以前にも日記に書いたが、嫁が想像していたよりも安産で、会陰も切ることなく、すんなりと元気な赤ちゃんを生んでくれた。
僕も出産に立ち会ったが、出産の時も分娩室では、終始和やかな空気が流れた。

赤ちゃんが出てきて、助産婦さんが赤ちゃんを嫁の胸の上に乗せた時、嫁の目から、一筋の涙が頬を伝って零れ落ちた。

僕は、そんな嫁の一筋の涙を見て、嫁がママになったことを感じた。
その一筋の涙は、元気な赤ちゃんが生まれてきてくれたことに対する喜びの涙だったのだ。

つまり、あの一筋の涙は、赤ちゃんの為に流した涙だったのだ。

妊娠した時、風呂の中で流した涙、あの時は自分のことで泣いていたのに、あの瞬間、嫁は生まれてきてくれた赤ちゃんの為に涙を流した。
あの瞬間、嫁は、ママになった。
僕は、そのママになった瞬間も見ることができたのだ。

赤ちゃんがお腹の中にいる十月十日の間、女性は、その間に赤ちゃんの拍動、温かみを感じ、少しずつ母親になっていく。
出産は、その母親になる集大成なんだろう。
自然分娩であろうと無痛分娩であろうと帝王切開であろうと、出産が集大成であることに変わりはない。

その集大成を経て、女性はママに変身する。
僕は幸運にも、その瞬間を見ることができたのだ。


なんてことをゆうべ、家族の寝顔を見ながら日記に書いていたのですが、途中で寝ちゃいました(笑)。
不完全ながら、こんな日記を載せることを、どうか御許し下さい。
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