mixiユーザー(id:47361257)

2013年06月26日12:26

39 view

社会人としての資質

■給料最低・小規模校…民間人校長、謝罪なき退職
(読売新聞 - 06月26日 07:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2481114

僕には2人の息子がいる。
それぞれ4歳と2歳で、小学校に上がるにはもう少し時間があるが、それでもいずれは小学校に入学する。

かねてから日記でたびたび書いているが、僕には躾として、息子には学校の先生を勉学の師として、そして人生の先輩として、敬い先生の仰ることは、ちゃんと聞くようにと教えている。
これは、担任の先生であろうが校長先生であろうが、年輩の先生であろうが若い先生であろうが同じだ。

そして、僕の息子に対する躾の中には、学校の先生というのは、子供たちにとって尊敬できる存在であってほしい、子供たちにとって規範となるような存在であってほしい。
そういった親としての勝手な願いがあることも確かだ。
こう書くと、先生には至極迷惑な話なのかもしれないが、これは親である僕の理想の躾なのだ。
そして、そう思って躾をされている親御さんは、僕以外にもいらっしゃるんじゃないだろうか。

最近、教育現場が荒れているのは、こうした先生と生徒の関係性が稀薄になってきているせいで、これは家での僕たち親の子供に対する躾がなってないせいだ。
日頃から、子供の前で先生のことを馬鹿にするような会話をしていて、それを聞いた子供が先生を馬鹿にする。
こうしたことは、日常よくあることだろう。
だが、こうしたことが先生と生徒の関係性を壊していく。
そして、先生もそうだ。
確かに公立の先生は、公務員かもしれない。
だが、その前に子供たちにとって、規範となるような存在であって尊敬される存在である。
その自覚があって、初めて先生と生徒の関係性が築かれるんじゃないだろうか。

随分、話が回り道になったが、小学校に通う子供たちにとって、校長先生とはどんな存在なんだろう。
僕が子供の頃に描いたイメージは、正に大人としての人格者そのもののイメージだ。
直接勉学を教えていただく機会はなくとも、子供たちにとっては、敬うべき存在なのだ。
だから、式典では、必ず校長先生のお話があるし、生徒は起立して校長先生のお話を聞く。

だがどうだろう。
今回の千葉氏の辞任は。
はたして、これが人格者とまでは言わなくとも、大人の社会人として相応しい行動だったのか。
公募から選ばれ、自分で志願して校長先生になった。
そこには、自分が校長先生になって、やりたいことや志もあったのだろう。

それが自分の思ったようにできないからと、たった3ヶ月で校長の職を投げ出すというのは、余りに無責任過ぎやしないだろうか。
そして、これは民間であろうが公務員であろうが、社会人として仕事をしている限り、理不尽なことや自分の思い通りにならないことなんて多々ある。
それでも、自分の与えられた職を全うし、その中で結果を残そうと工夫し努力していくのが社会人としての責任であり、手腕じゃないのだろうか。
橋下さんの思惑はどうあれ、社会経験のある人を教育現場に登用しようとした目的の一つは、こうした社会人としての責任であったり手腕を期待していたのではないのだろうか。

千葉氏は、僕と同い年だ。
僕には、社会人の同級生がたくさんいるが、その同級生と比べてみても、千葉氏は校長である前に、社会人として余りに無責任で幼稚であるように思える。

そして、何より幼稚だと思ったこと。
それは、人として、他人に迷惑をかけて謝ることすらできないということ。
これは、もしかしたら橋下さんにも共通しているかもしれない。
千葉氏も橋下さんも、他人に謝ることが恥であり、自分のプライドを酷く傷つける行為なんだろう。

だが、自分が校長の職を投げ出すことによって、学校内が混乱することは確かだし、子供たちにも迷惑をかけたことは確かなのだ。
それについては、普通の一般的な社会人ならば、謝罪をするのは当たり前のことで、これは社会人としての礼儀だ。
それができないというのは、あまりに社会人としての基本がなってないんじゃないか。

ただし、こうした謝罪は、人から求められてするものじゃない。
自発的に謝罪できないということは、千葉氏にはもともと社会人としての礼儀を持ち合わせていないのだろう。

残念なのは、校長に途中に職を放り出された子供たちの気持ちのほうだ。
20 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する