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2013年06月10日18:22

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遊びのつもりはイジメをする人間にとって都合の良い言葉


■同級生9人のいじめで窓から転落、小5男児骨折
(読売新聞 - 06月10日 14:15)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2461073

博打骨折という言葉がある。

これは踵骨骨折の別名である。
その昔、博打の賭場というのは建物の二階にあった。
そこに手入れが入った時、博徒や客が慌てて二階の窓から下へと飛び降りる。
その時、足から地面に着地した際に、踵骨に衝撃が加わり骨が折れてしまうのだ。

だから踵骨骨折のことを博打骨折と呼んだ。
大抵は、高い所から飛び降りて、踵から地面にした時に折れることが多い。

これは僕の想像だが、おそらくこの男の子は、誤って落ちたというより、飛び降りざるを得なかったんじゃないだろうか。
二重窓の間に閉じ込められ、そこからなんとか脱出しようとして、飛び降り踵から地面に着地した。
おそらく背骨の骨折も踵から着地した際の衝撃による、圧迫骨折だ。

いずれにしても、場合によっては手術を必要とする大ケガで、踵骨骨折の場合、慎重に経過を見ていかないと後遺症が残る場合だってある。

となると、この男の子がそうなる心理、これはやった側がいくら遊びのつもりだったとしても、この男の子にとっては、立派なイジメだ。

そして、大事なのは、これが遊びのつもりで始まったこととしても、学校側はイジメとして対応しなければならないということだ。
イジメかどうかという判断は、イジメた張本人に"イジメをしていたのか"と確認することほど、ナンセンスなことはない。
何故なら、やった当人はイジメを自覚していても、必ず遊びと言うだろう。
イジメが悪いことでやってはいけないことをわかっていてやっているのだから、それを認めることは自分たちにとって不利になることくらいわかっている。
そんな不利になることを誰が認めるだろう。
だから、"遊びのつもり"なのだ。
これでイジメを否定してもらえるなら、これほど都合の良い言葉はないだろう。

だから、学校側としては、状況を見てイジメかどうかを察知する必要があるし、判断する必要がある。
今回の場合などは、転落した男の子の状況、そして男の子の心理状態を想像したら、学校側はすぐにでもイジメとして対処すべきじゃないのか、と思うのだ。

また、そうしたやられた側の立場に立つことがイジメを考える上で大切だと思うのだ。
イジメは、イジメを受けた側の立場に立ってみなければ判断はできない。

30分以上も閉じ込められ、窓から飛び降りてまでしなければ、逃げられなかった男の子の状況をイジメとして対処しなければ、この男の子にとっては学校に救いはない。
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