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2013年06月03日22:56

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クリスチャンの11

この前の続きを書いてみる。はじめに、繰り返しになるが、聖書はイエスキリストを人々に伝えること(伝道)をクリスチャンに要求している。だが伝えた相手に納得させることは要求していない。この日記はあくまでも、伝道せよという聖書の要求に応答するために書いているのであって、レスを求めているのではない。でもレスが来たら、ありがたく読ませていただき、祈って行きたいと思う。また、あくまで現時点での私の聖書理解だから、間違いがあるかもしれない。

 「イェスキリスト」という言葉すら理解できない知的障害者などは救われないのか。私自身、知的障害者の施設職員だが、彼らは救われないのだろうか…聖書によると、人間は「霊」「たましい」「からだ」の3つでできている。本質は「霊」だというのだが、霊というのが一番わかりづらい。たましいというのは、感情や思考の部分だという。これはわかるし、からだ(=肉体)もわかりやすい。クリスチャンは生まれながらの「霊」が、キリストの「霊」に入れ替えられた者だといわれている。私自身にそういう自覚があるわけではない。ただ、聖書を読み解くとそういうことになるらしいのだ。そして、こういう聖句がある。「御霊のことは御霊によってわきまえる…」要するに、「イェスキリストを信じる」というのは、魂(思考、感情)ではなく、霊の領域によってなされることだと言っている。私自身は魂で理解し信じたつもりなのだが、自分ではよくわからなくても「霊」によって理解し信じている…と聖書は言っているのだ。
 知的障害者は魂に障がいを持っていても、霊は別物だから、イェスキリストを信じることができるというのが、今の私の聖書理解である。だから、言葉が理解できまいが、耳が聞こえまいが、彼らが就寝する前には「イェスキリストを信じる者は救われますよ」と言って聞かせるようにしている。

※この日記には補足があります「クリスチャンの仕事13」をご覧ください。
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